エドムント・フッサール「現象学の理念」
エドムント・フッサール「現象学の理念」 訳は、立松弘孝さん。 現象学とは何か、をフッサール自身が、5回にわたって講義したもの。 1回あたり15ページの分量で、とっても簡潔。 入門書かつ、フッサールの著作の中としてやさしいとの前評判でしたが、 わかりやすい・・とはいいがたかったです。現象学とは「認識批判学」であること 「どのようにして認識は、それ自体に存在する事象との一致を確認し、 またそれらの事象に<的中>しうるのであろうか?」フッサールが、数学専攻から哲学へ転じたこともあるのでしょうが、数学等の自然科学に対する抑制した想いが伝わってきます。認識論のスタート地点として、数学や自然科学を基盤とすることはできないこと、そして当時流行だった心理学の見方も同様として排除しています。 「認識批判学は、自然的態度の学問を何ひとつ利用しえないのである」と。 目の前にあるリンゴが見えるとき、 リンゴが存在するからリンゴが見えているのではなく、 自分の中の感覚器官を通してリンゴの様子が内在的に認識できるがゆえに リンゴの存在が把握される・・・ この内在的な把握が確信されるまでの間、 まずは、現象学的還元として、 いったんカッコにくくって「妥当現象」として考えてみること。 内在的な把握を確信するための議論を積み重ねます。「何ものも私にとって確実でなく、私にはすべてが疑わしい」・・と、どんなに疑ったとしても、そう疑っている自分は確かにいるというデカルトのコギトをベースにしつつ、カントのアプリオリ(先天的)なカテゴリーに、現象学的な考察が足りないことを批判し、どちらも乗り越えた、と勇ましい。 「明証的直観こそ、最も重要な意味での認識である」 「明証とは、実際に直観し、直接かつ十全的に自己を把捉する意識のことであり、 このような意識はまさに十全的な自己所与性にほかならない」先日、哲学者の方が、現象学的な見方をする訓練をされたことがあるという話をうかがったので手に取ったのですが、この本だけだと、読み終えて「現象学的な見方」には、道険し・・の感。現象学的還元・・の話は、「クオリア」につながっていると思います・・・今度、茂木さんの本も手にとってみようかな。