「バカを磨け」― 幸せという義務・その四十八回目
b AKINA・34歳・独身 の場合 彼女は某外資系証券会社に勤め、有能な男性社員が多い中でも、上位にランクされるであろう非常に優秀な女性です。 いかにも総明そうな容貌とたたずまいには、一種の安定感があり、多くの人々からの信頼と尊敬を勝ち得ています。しかし、最近は何となく心の中がシックリしません。上手く言葉にならないのですが、もしかしたらスランプの類なのかも知れない。そんな風にAKINAさんは表現しました。 「お仕事をされる上で、何か不都合が生じているのでしょうか?」 「いいえ、今のところは、これと言って……。でも、何だか不安なのです」 漠然とした不安。なかなか厄介な問題です。特に彼女の場合には――。と言いますのも、聡明な彼女は、仕事以外にも、スポーツジムに通い、活け花を習い、産業カウンセラーの資格を取って、仲間との勉強会などにも積極的に参加している上に、月に一二度行われる部内での飲み会なども参加を欠かさない。いわば本式のオールラウンダーだったから。 過去に結婚を真剣に考える程の恋愛も経験しているし、一年に一回は一週間程度の海外旅行にも行くように心掛けている。一見して、非の打ち所がない。それで、厄介だと表現したわけですね。 彼女の実家は横浜で、都内の2DKのマンションに一人で暮らしています。電車で一時間余りで行ける距離ですので、戻ろうと思えばいつでも行ける。母親とは、電話やメールでのやり取りをしている。両親や兄一人の家族との仲も良好で、何の問題もないようです。「これまでに、一番生甲斐を感じたのは、どの様な時でしょうか」 「やはり、仕事でしょうか。夢中になって打ち込んでいる時には、文句なく楽しいと思いますね」 「外には何か、二番目に楽しい時間、或いは、楽しかった思い出などは?」 「そうですね、これと言って……。楽しいといえば、学生時代も、子供の頃もそれなりに充実していた気がしています。今現在も、別に楽しくないわけではないのですね。ただ、少しだけ……。いいえ、たった今は、とても不安に駆られています」 私は、これは自分の手には負えないケースかも知れないと感じて、彼女に精神科を一度訪ねることを勧めてみます。すると、彼女は既に通院している事実を告げ、その結果に満足出来なかったので、ダメもとを覚悟で、ライフメンターの私を試してみる気になったのだと、ごく素直に打ち明けます。 その時には、実は私の中に、彼女用の処方箋が出来上がっていました。 彼女はその処方箋通り、彼女らしい勤勉さを発揮して、約1ヶ月後にはほぼ完璧な十年後のキャリアビジョンを詳細に記した書類を、私に提出してくれたのでした。その詳細については、ここでは割愛しますが、1、現在の会社に留まる場合、2、他の(ヘッドハンィングされている)企業への転職をする場合、3、独立して、新たに起業する場合。以上の3通りのケースについて、大変に綿密で、慎重な見通しと行動計画が、それに伴う諸々のリスクと共に記載されていました。私は一読して舌を巻きます。実に、隅々にまで神経の行き届いた、見事な「人生の見積書」でしたから。 書類を読み終えた私を見詰る彼女の目は、真剣そのものでした。 「どうです、もう不安はなくなったでしょ!」 AKINAさんはハッとしたように一瞬息を飲んで、それからニコリとして大きく頷いたのです。