神慮に依る「野辺地ものがたり」
第 百四十五 回 目 今回も意欲的に「能・謡曲」にチャレンジして、野心的な現代語でのセリフ劇に翻案をしてみたいと、考えました。上演をした上で、表現の手直しや演出について修正を加えるつもりで居りますが、取り敢えずトライしてみようと思います。 「 松 風(まつかぜ) 」 ( 観阿弥の原作、世阿弥の改修による「松風」より ) 場所:摂津の国、須磨の海岸(現在の神戸市須磨区) 時代:昔、昔の事 人物:海人(あま)の松風(まつかぜ)-女性の霊魂(幽霊)、海人の村雨(むらさめ)-女性の霊魂(幽霊)、旅の僧、里の男 第一場 月の美しい秋の半ば頃。夕暮から夜。 一人の旅の僧が登場。 ナレーション「 月の名所である須磨と明石の海岸に沿って、諸国を見物して歩く一人の貧しい僧侶がいた 」 僧「私は諸国を見物して歩いている僧侶である。先日は京都に参って、観光名所や歴史上で有名な旧跡などを隅々まで、見物し終えたところである。そしてまた、これからは西国を修行して回ることを思い立ちました。旅を急いで来たところ、この辺は津の国(現在の神戸市須磨区)の月の美しい事で有名な、須磨の海岸に到着した。見れば、あそこに不思議なことに、何かわけがありそうな松の樹が生えている。定めし、この木には然るべき由緒があるに、違いない。近くの村人に質問してみようと思う。( 近くにいた里人に話しかける。それに対して何事をか答える里人。 ) やはりこの松は、松風と村雨と言って、二人の女性の海人を弔って植樹されたものだと言う。(その場に膝を突き、合掌して)実に痛わしいことである。その身は土の中に埋められてはいても、名前は後世にまで残り、後の世までの墓標として、葉の色を変えない松が一本だけ、黄葉している周囲の風景の中で、緑の色を濃く、鮮やかに残しているのは、誠に感慨深いことだ。こうして、お経を読み、念仏を申し終えたので、この場所から立ち去ろうと思う」 第二場 近くの塩焼き小屋 松風と村雨「(両者が交互に語る)このように汐汲み車を引きながら、ほんの僅かの間しか生きられないこの世であるのに、私達両人はさも未練がある様に、貧しく細々と暮らしている事の、実に儚いことよ。ほら、寄せてくる波が、直ぐ枕元にまで届いてくる此処、須磨の海岸では、ざわざわと騒ぐ波ばかりではなく、夜空に美しく照り映える月までが、物悲しさの涙を誘って、私どもの袖を濡らし続けるのです。秋の本当に美しい景色に見慣れてしまっている須磨の人間でありますから、この様な月の夜にも、月を眺める風流よりも、生活の足しになる、汐汲みを致しましょう」 松風「人の心を自然に悲しくさせる秋の風によって、あの歴史上で有名な歌人・在原行平(ありはら の ゆきひら)中納言様が、旅人は 袂涼しく なりにけり 関吹き越ゆる 須磨の浦風と、和歌に詠まれた浦辺の波が、夜毎夜毎に寄せて来て、その波音をすぐ近くに聞く、人里から遠く隔たった非常に物寂しい場所への、通い慣れた小道には、一緒に歩いてくれる仲間などは一人もなく、高く天空に姿を見せている名月だけが、頼りであります」 村雨「実に、憂き世を渡るための業とは言いながら、取り分け賎しい海人となり、夢の如くに短く、また、儚いこの世の日々を過ごし兼ねる哀れな有様で、これでも世に住んでいると言えるのかしら……」 松風「本当に儚い人生ですが、こうして潮を汲む車を引きながらの、海人としの生活の苦しさに涙ばかり流しながら、袖ばかりを濡らし続けておりますね」 村雨「私達はこうして惨めな生活に苦しんでおりますのに、羨ましいことに夜空に悠然と澄み渡っている月、その月の出とともに差してくる潮を、さあ一緒に汲みましょうかね」 松風「(ふと、水溜まりに映る自分の姿に目を留めて、顔を伏せて)月に照らされて、水に映る影も恥ずかしい私の姿のみすぼらしさ。それを恥じて、人目を忍んで潮汲車を引いているが、引き潮の跡に残った溜まり水が、いつまでも清く澄んではいないように、私たちもこの世に、いつまでも住み果てることは出来ないのです。野原の草に降りた露であるならば、太陽の光に照らされて姿を消してしまうのでしょうが、私たちは露の様に姿を消してしまうこともできず、磯辺に打ち寄せる海藻を、かき集めるのが仕事の海人でさえも、無益なものとして捨て去る海藻の如くに、ただもう惨めな姿に老い衰えて、死んでいくのかと思うと、流れ落ちる大量の涙で、着物の袖や袂も朽ち果てるだけなのです」 村雨「月明かりで、夜の潮を汲んでから、家に帰りましょうか」 松風「須磨に住み慣れていても、見慣れていても、素晴らしいと感動を新たにするのは、漁師たちが沖や岸で互いを呼び合う声が幽かに聞こえ、沖に見える小さな漁船の姿がほんのりと見え、空の月の影も仄かにして、宙を飛ぶ雁がねや、波間に群れ集う千鳥たち、そして晩秋に吹く野分と呼ぶ大風の台風など、どれもこれもこの場所の名物ばかり…。須磨の秋に情趣を添え、須磨の秋ほどに趣深いものは無いと言われるのも、もっともである。夜一夜、心に染み渡る風情であるよ…」 ナレーション「松風と村雨の両人は、さあさあ海水を汲もうというので、波打ち際に出て、潮汲み衣を襷(たすき)がけにして、潮を汲む為の身支度のつもりなのであるが、そう意気込んではみても所詮は力の弱い女の引く車ですので、そう量(はか)が行くものではありません」 僧「もう辺りはとっぷりと日も暮れてしまった。先程まで見えていた山里までは道のりが遠すぎる。此処にある海人の塩焼き小屋に立ち寄って、一夜を明かそうと思う。(入口に近づいて)もーし、もーし、御免下さい。夜分に失礼致します] 村雨「はい、何か御用で御座いますか?」、僧「旅の者ですが、途中で日が暮れて困っております。一夜の宿をお貸し願いたいのです」、村雨「お待ちください。主人にそう申し伝えますので…。(松風に対して)申し上げます、旅人がいらっしゃいまして、一夜の宿をと申されて居ります」、松風「容易なことではあるが、余りに見苦しい所なので、とお断り致しなさい」、村雨「(僧に対して)主に申したところ、余りに見苦しい所なので、お泊めできないと申しております」、僧「仰せはごもっともで御座います。しかし、見苦しいのは一向に構いません。私は僧侶で御座いますので、是非に一夜の宿をお願い致したいと、再度申し上げてください」、村雨「(松風に)旅のお方は御出家でいらっしゃり、是非にと再び願って居られます」、松風「何、ご出家とな。月の明かりでお見受け致せば、まさしく世を捨てた身分のお人。宜しいでしょう、粗末な松の木の柱に竹の垣根。さぞや夜寒が厳しいことと思いますが、芦を焚く僅かな火に当たって、お泊りくださいとお伝えなさい」、村雨「(僧に)こちらへお入りください」、僧「ああ、嬉しい。有難う存じます」と小屋の中に入る。 ナレーション「僧侶と女性の海人二人が挨拶を交わし、僧が行平の和歌を引き合いに出し、海岸べりに有る旧跡の松で、松風・村雨の二人の霊を、通りすがりに過ぎないのだが、懇ろに弔った事を語った所、二人の様子が急変した」 第三場 松風・村雨の過去の回想 ナレーション「この物語の時代、現在から千年以上前の支配階級である貴族社会では、有力な男性が大勢の女性たちと結婚する一夫多妻の慣習が、ごく普通に行われていた」 松風「まあ、本当に信じられないことです、このわたしがあの様な雲の上に存在していらっしゃる神様にも等しい中納言様の、この地での妻として選ばれたなどとは。この身を何度つねってみても醒めないところを見れば、これは紛れもなく現実なのだわ」、村雨「お姉さま、おめでとう存じます。妹のわたしさえ、身に余る光栄でこの胸が張り裂けそう。父も母も、それこそ躍り上がらんばかりにお慶びで、ご近所のお方からのお祝いの言葉も品々も、数多く届いておりますし…」、松風「祝福を有難う。するとあなたはまだ知らないのですね、私だけでなくあなたまで、中納言・行平様のこの地での妻の一人に選出されていたことを」、村雨「えっ、なんですってお姉さま、お姉さまだけでなくこの私までが…」、松風「(ニッコリと頷く)」、村雨「(小躍りして)まあ、なんという嬉しく、めでたいことなのでしょうか」と、姉妹の二人は嬉しさ一杯の表情で、しっかりと手を取り合う。 松風と村雨「こうして私どもにとってこの上もなく嬉しく、また楽しい日々が夢の様に、あっという間に過ぎ去ったのです」 第四場 元の小屋の中 松風「ああ、昔の事を思い出しますと、本当に懐かしいことです。(行平の形見である烏帽子と絹の着物を取り出して)行平の中納言は、三年ほどこの須磨の土地に住まわれてから、京の都にご帰還遊ばされ、日頃慣れ親しんだ形見の品として、この立烏帽子(たてえぼし)と狩衣(かりぎぬ)とをお残し置きなされました。なまじ形見の品が残っている為に、あの恋しいお方様を忘れる事は片時もなく、恋しさや懐かしさばかりが、増して来るのです」、村雨「冥途(めいど)の途中にあるとされる三途(さんず)の川さながらに、大量に流れ落ちる悲しみの涙、涙、涙…」、松風「ああ、嬉しい事。あれ、あの通り、あそこに行平殿がいらっしゃり、松風よ、ここに参れとお召であるよ」、村雨「ああ、なんと浅ましいことであろう。あれは立木の松ではありませんか。そのようなお気持ちで居られるから、現世に執着を残した罪で、地獄に沈むのです」、松風「愚かな事を言うひとですこと。あの松の木に見える物こそ、行平様です。たとえ暫くの間は別れ別れになったとしても、そなたが待っていると聞いたならば、必ず帰って来よう。そのようにおっしゃられたお言葉を、もう忘れてしまったのですか」、村雨「ああ、そのお言葉、あの嬉しい御歌 ― 立ち別れいなばの山の 峰に生ふる 待つとし聞かば いま帰り来ん」、松風「待つとし聞かば いま帰り 来ん…」(二人の姿が、幻の如くに消え去る) 旅の僧がただひとり、その場に茫然と佇んでいる。 ナレーション「松の木に吹く風が劇しく狂乱し、須磨の海岸に寄せてくる高波の音も、一層その波音を高めている。そして、背後の山一体から吹き降ろす山風も、恐ろしげに吹きすさび、須磨の関所の鶏の声もあちこちで起こり、夢は跡形もなく消えて、夜もすっかり明けた。昨夜はにわかに降ると聞いた村雨も、今朝になって聞けば、松の樹を吹く風の音だけだったと、分かったのでした」 《 完 》