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前回、この世に生まれてきた人は皆が皆
幸福への必要十分条件を備えているという文章を書きました。 すると直ぐ、打てば響くような反応が返ってきました。誠に 嬉しい限りであります。あなたのご意見は本当にその通りかも知れない と思うのだが、世間を見渡してみるとその大半が不幸せそうな顔々。 幸福や満足とは程遠い様子が見て取れてしまうのだが、一体どうゆう 訳なのか、納得がいかない。その辺のところを易しく簡潔に 説明してもらえないだろうか。大体、こういった趣旨のもの。 それにお答えする形で今回は書いてみる事にしました。実はこれ 大変に難しい質問でして、人によって意見が分かれるでしょうが 飽くまでも私・草加の爺の私見というお断りをした上で、大胆な 断定を致します。家庭での躾けを含めた教育が適切に機能しなかった ためで、その「下手人」は誰かといえば日本の場合に最大の 影響力を保持している母親が悪いのだし、父親や家族・地域社会 のメンバーの悪しき「教育」が「元凶」。次には保育園その他で始まる そして大学院を含めた公教育の歪みが最大にして最悪の「下手人」である。 教育が足りなかったのか。いいえ、その逆で余りに恣意勝手に「いじり過ぎ」 たと申しておきましょう。もう少し人間は謙虚にならなければならない。 今、わたくしはそう強く思うのであります。誰に対しての謙虚さか と質問されたなら、神とか仏とか呼び習わされている存在に対してです。 己という生者を「そのように在らしめている」大いなる、偉大なるもの への無限の信頼。人類に共通して不足しているのはこの敬虔なる感情であり 感謝の念であり、絶対的な尊崇でありましょう。井の中の蛙に譬えられる 人類にこの大海に比せられる「存在者」に想いを馳せることは理屈上では 不可能な事ですが、理屈抜きで感じたり、直感的な理解を十二分に発揮すれば そんなに難しい事ではない。つまり、小賢しい「才知」などという 笑止千万な小道具に頼る事を止めさえして、本来備わっている生きるための 本能と呼んでよい叡智を活性化するだけでよいだけのこと。しかし、しかし 末世も遥か遠い、混濁と混迷の極致とも形容すべき今日では、やはり 非常に「難しい」、難事中の難事なのでありましょう。わたしは 断るまでもありませんが、皆さんを説得しようと努めているわけではありませんで ただ、有りの儘に解説し、説明しているだけにしか過ぎません。何故 そんな出すぎた事をするのかと訊かれたら、この世への恩返しをしている だけと、お答えしましょうか。とても幸せな人生でした。今も最高な毎日を 送ることができています。感謝、感謝でありますから、幸せの「おすそ分け」 の心算で駄文を綴っておりますが、それも何者かに背中を押されるような 感じなのが、自分としては幾分不思議な、また有難い事と、またまた 感謝なのですね。もう手が付けられない「三昧境」に入ったようなもの。 どうぞ、これからも宜しくお願い致します。ご意見をお聞かせ下さい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年08月30日 12時59分40秒
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