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草莽の記    杉田謙一

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seimei杉田

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2008.10.31
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カテゴリ:裁判
沖縄ノート訴訟:控訴審、原告の請求棄却 名誉棄損認めず
 ノーベル賞作家、大江健三郎さん(73)の著作「沖縄ノート」などの中で、沖縄戦で集団自決を命令したと虚偽の記述をされ名誉を傷つけられたとして、旧日本軍の戦隊長らが大江さんと出版元の岩波書店に対し、出版差し止めと慰謝料3000万円の支払いを求めた損害賠償訴訟の控訴審判決で、大阪高裁は31日、原告側の請求を棄却した。
 小田耕治裁判長は、記述が真実と信じるに足る相当な理由があったことを理由に1審・大阪地裁判決(今年3月)と同様、名誉棄損は成立しないと判断した。
 沖縄・座間味島の海上挺進(ていしん)隊第1戦隊長だった梅沢裕さん(91)と渡嘉敷島の同第3戦隊長だった故赤松嘉次さんの弟秀一さん(75)が05年8月、「自決命令はしていない」として訴えた。1審判決が「隊長の関与は十分に推認される」と請求を棄却したのを不服として08年4月に控訴していた。(後略)

 待ちに待った判決であるが、残念ながら予想通り原告敗訴。嘘でも真実と思うに足る理由があったとされれば名誉毀損に当たらないとの見解だ。

以下引用は昨日(10月30日)の沖縄タイムス記事。

最終陳述要旨

[原告] 原因は米軍恐怖・家族愛

座間味島民の(戦隊長命令を否定する)新たな証言は、藤岡信勝・拓殖大学教授(新しい教科書を作る会)の意見書で、信用性と証拠価値は揺るぎない。

「万一の場合、日本人女性として立派な死に方をしなさい」と言われ、軍曹から手榴弾を受け取っていた宮城初枝は、梅澤隊長と再会した際、梅澤隊長らが「(初枝の)無事を喜んだ」と証言している。 住民の安否を心配してしてのことであり、自決命令とは矛盾する。 梅澤隊長が住民に自決を命じていないことは明らか。 

手榴弾を受け取っていた宮里育江の証言にも、梅澤隊長から伝令を通じて女性軍属5人に、「住民が避難している裏山に食料を持てるだけ持って移るように命令があった」とある。 避難住民と生き延びることを求めた梅澤隊長の意思が明確に読み取れる。

「万一のため」の手榴弾交付は、非情な自決命令ではなく、住民の安心と尊厳を守るためになされた兵士たちの人間的な行動で、自決命令の証拠と言うのは論理のすり替えでしかない。

(被告側から)新たな証拠提出された垣花武一氏の証言は、日本軍が座間味の村の幹部に集団自決を指示していたという話を、座間味村の郵便局長から聞いたとしているが、話しは伝聞に過ぎない。 語る機会はいくらでもあったのに、これまでの証言では一切、触れられていない。

そもそも、(日本軍が村幹部に集団自決を指示していたという)昭和20(1945)年2月ごろ、島に米軍が上陸することは日本軍も想定していなかった。郵便局長の話に信用性はない。

被告側は、この裁判が原告らの意思によるものではなく、特定の歴史観に基づいて歴史教科書を書き変えようとする政治運動の一環で行われていると非難するが、原告らが自分の意思で訴訟を提起し、出版の差し止めを求めていることは明らか。

被告側は、原告らが「沖縄ノート」を通読していなかったことや、飛ばし読みしていたことを取り上げて避難するが、名誉毀損訴訟では、名誉毀損の記述があると認識があれば十分。事前の通読が必要とする被告側の主張は理解しがたい。

原告らが提訴した動機は、原告ら個人の名誉毀損の主張にとどまらず、集団自決が隊長の命令によって強制されたと言う虚偽の記載が公の書物に記載されていることへの義憤で、このまま放置できないと使命感だった。 教科書検定で、教科書から命令や強制が完全に削除されたことは、訴訟の目的を達したと評価できる。

集団自決の原因は、島に対する無差別爆撃を実行した米軍に対する恐怖や、鬼畜米英の思想、皇民化教育や戦陣訓、死ぬときは一緒にとの家族愛。「いざという時」のために渡された手榴弾など、さまざまな要因が絡んでいる。

軍命令という過度の単純化、図式化は、かえって歴史の実相から目をそらせるもので、集団自決を経験した沖縄県民の尊厳をおとしめるものにほかならない。



[被告] 軍管理の手榴弾を交付

座間味住民の「新証言」、1992年に制作された本人のビデオ証言や、母親ら他の体験者の証言者の証言、梅澤氏の陳述書などと重要な部分での相違がある。 藤岡意見書は、憶測でのつじつま合わせをしているにすぎず、証言は破綻している。

「沖縄ノート」に、座間味島や渡嘉敷島の隊長によって自決命令が出されたという記載はなく、隊長個人を特定する記載もない。隊長命令の記載だと決め付け、その真実性に証明責任を課すのは、日本軍の指示・命令で、多数の住民が「集団自決」に追い込まれたという重大な公共の利害に関わる言論を萎縮させる。

「太平洋戦争」は歴史的研究書で、「沖縄ノート」ハ歴史的事実に関する出来事への評論である。 記載されている事実の真実性・真実相当性については、過去の歴史的事実の確認の困難さを考慮し、歴史的探求の自由や歴史的事実に関する表現の自由に十分配慮した判断がなされるべきである。

沖縄戦の日本軍は「軍官民共生共死の一体化」のもと、秘密保持のため、住民には米軍の捕虜になることなく、いざというときは玉砕(自決)させる方針だった。米軍の捕虜となった住民を殺害し、住民にスパイの疑いかけて殺害した。 また戒厳令下の「合囲地境」と同様、県や市町村の行政を軍の統制下に置いた。

座間味村や渡嘉敷島の日本軍は、島が海上挺進戦隊の秘密基地だったため、防諜(ぼうちょう)のため、住民に島外へ行くことを禁じた。 米軍の捕虜になった時は「女は強●され、男は八つ裂きにして殺される」などと米軍にたいする恐怖心をあおり立て、米軍上陸の際になることなく自決するように指示し、自決用の手榴弾を交付するなどした。 これらの支持は、毎月8日の大詔奉戴日に日本軍の将校が参加した儀式において伝えられた、あるいは日本軍の隊長が自ら訓示して行われた。 

手榴弾は日本軍の重要な武器で、部隊が厳重に管理していた。 隊長の了解なく住民に交付することなどあり得ない。戦隊長は、住民を捕虜にされ、群の秘密が漏れるのを防止するため、住民を自決させることにしていたからこそ、住民への手榴弾の交付を認めた。 

座間味島の梅澤隊長も渡嘉敷島の赤松隊長も、住民たちが軍の指示、命令に従って自決を決行しようとするのを知りながら、これを止めなかった。 自決命令は、最高指揮官である隊長の命令によるものというべきである。

この裁判は、慶良間諸島の「集団自決」は日本軍の指示・命令によるものではなく、住民は国に殉じるために美しく死んだのだと歴史観を塗り換えさせようとする目的で提起された。 国家権力を体現する軍隊の公権力の行使にかかる事実の誇示や、これに対する批判という極めて高度な公共的事項に属する表現行為を、軍隊の隊長だったものが封じこめようとしている。 民主主義国家において、このような高度な公共事項に属する言論が制約されてはならない。(沖縄タイムス記事)

 裁判は自決命令の存在は証明されないとしながらも、あったと信ずるに足るムードの存在を認め、そのために「沖縄ノート」を記載したとしても名誉毀損に当たらないとするもの。よって原告の敗訴とされたのである。

 しかし問題は、今もって大江氏は書き換えを行っていない。書いた当時はそうであったとしても今や、事実が判明した後も削除の意志すらない。これは名誉毀損であろう。新たに裁判を起こせとせせら笑っている如き大江氏の心のさもしさが嘆かわしい。

さて、この裁判の推移の中で、保守の立場で事実の検証をなすべき人物が、全く今までの知性を放棄した事を知っておくべきである。

 昨年、復帰三十五周年記念フォーラム「沖縄の現状と展望」(主催・同実行委)が那覇市内のホテルで開かれた際、起訴休職中の外務事務官の佐藤優氏が講演し、沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」が削除された教科書検定問題について「とんでもないこと。軍が存在しなければあの悲劇はない。それ以上の議論は必要ない」と主張したのである。
 佐藤氏は、沖縄戦の実態を記した『鉄の暴風』を例に「沖縄戦とはこういうものだ、とつくりあげたことに、それ以外の人たちがアンチを言うのは世界でも珍しい。歴史認識の問題というより、レベルの低い話だ」と強調したという。

 歴史捏造を正すべき立場の人が完全に左翼の主張に飲み込まれてしまっている。
 沖縄にゆかりの人だという。沖縄問題は理論や事実を寄せ付けず、情念でしかいまだ語りえない世界なのか。
先にこんな悲しむべき出来事もあった。

両陛下の記念碑に赤いスプレー、沖縄・宮古島の市庁舎で

 26日朝、沖縄県宮古島市役所上野庁舎敷地内の「天皇皇后両陛下行幸啓(ぎょうこうけい)記念碑」(高さ2・4メートル、幅1・6メートル)に、碑銘を塗りつぶすように赤いスプレーが吹き付けられているのを警備員が見つけた。県警は器物損壊容疑で調べている。
 発表によると、記念碑は庁舎の正面玄関脇にあり、犯行は25日夜から26日朝にかけてとみられる。
 同市によると、記念碑は2004年1月に両陛下が初めて宮古島を訪問された際、旧上野村役場で休憩したことを記念して同年11月に建立された。
(2008年10月27日11時11分 読売新聞)

 沖縄のレベルが疑われます。どれほど陛下が沖縄の事を大切に思ってみえるか。そうしたものどもを生み出している沖縄の教育はどうなっているのでしょうか。心無いものはどこにでもいるのでしょうが、この後が大切でしょう。どう是正するか。教育の敗北です。
 今日の裁判結果を見て、理性により沖縄を語ることの難しさを痛感した次第である。








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Last updated  2008.10.31 17:08:12
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