今日は6時から草莽通信造り。
8時半に自宅に帰り市役所へ。
今日は岡崎市の総代会(各校区自治会長)連合会の皆さんが護国神社奉賛資金を献納されに行かれるので事務局として同行。配車されたバスに乗り込む。一時間ほどで護国神社につき部屋にて待機、案内されて正式参拝を行う。末席に着かせていただいた。
岡崎は豊橋に次いで多くの奉賛金の献納ができたそうでありがたいことであります。
食事後座談。
高羽宮司に陛下御即位30年奉祝と銘打った3色ボールペンを50本寄贈。
陛下の退位の時期につき語ると、さすが宮司先生。「昭和天皇の三〇年祭を御自らなさる強い御意思をしるべきですよ」と一言、三一年一月七日には天皇として大切な祭礼をなさねばとの強き御決意があられたのか。心の寄せ方の違いを思い知らされた気がする。同時にわが父が祖父の五十年法要を勤めて他界したことを思い出した。すごいことである。
散策時に総代会長らを境内案内し、僕らが平成7年に建てたアジア共生の碑をご紹介。ここにはペマギャルポ先生の名や私の会社や個人、親族の名やグループの名が刻まれているので紹介申し上げた。巫女さんとフランクに話をしているわけを聞かれ、毎月掃除をさせていただいていること、巫女さんにも時にお手伝いいただいていることを申し上げると驚いてみえた。
トヨタ産業技術記念館見学などを成し岡崎に変える。車中、皆さん全員に記念ボールペンを差し上げ来年の奉祝行事や建国祭へのご参加をお願いする。同級生のお兄さんが総代として参加されており大いに歓談。共通の友人やその家族の様子などに話が及び大いに驚く。
岡崎に帰って事務所に人を待つ。
碧南での建国祭を担ってくださる皆さんの集まる講演会が開かれるのが6時。そちらに岡崎の教育を考える会会長柏原さんに走っていただくので諸資料を整え、お渡しした。
私は豊川へ。同じく建国祭実行委員を担ってくださる今泉豊川市議(自民党団長・教育を考える会豊川会長)が自民党研修会を開かれるのでその応援。400名ほどのご参加か。
私が持って行ったボールペンは50本ほどだったので運営の皆さんやその身近な方にのみ渡すことに。奉祝幟も5本会社社長他に新年と同時に掲揚をお願いしてお渡しする。
講演の講師は元共産党参議院議員でナンバー4の役に付いて見えた筆坂秀世氏。
共産党時代の体験や党が抱える問題などにつき語られた。
55年体制から冷戦終了による国内政治政党の栄枯盛衰についての話や共産党内部での課題など。最大の課題は若年層の極端な現象。赤旗売り上げの激減などによる財務のひっ迫、硬直した思考回路が故の野党共闘の不成立等。
歯に衣着せぬ語りは実に軽快。
野党は共産党の排除から共闘へと進んだように、すくなくとも私には見えていた。
弁がたち、動きが活発な共産党が、他の、ポリシーに弱き左派勢力の中にい続けると、その政党連合は真っ赤に染まるのではとの危惧である。
実際右派たる自民でも理論武装をしなくては選挙に勝てず、その思想的リーダーは強固な意志と行動力を持つ人が担う.安倍総理におかれてもしかり。
総裁選では少数派の安倍氏が奇跡的に勝利に行きついた。
一旦奇跡的に総理になって後は時間と共に「安倍一強」と呼ばれるほど無敵に近くなる。二階氏まで総理の三選支持を打ち出すなど信じ難き展開となる。
左も同様化と思っていた。共産に母屋を乗っ取られるのだろうなと。
しかしそうではないのが政治。共産嫌悪の勢力が一気に希望の党に飛びついた。
左派民進党が綱領も全く同じの立憲民主党となり、共産が入り込むだろうと恐れたが実際には枝野氏は共産とも是々非々。連携は袖にされた感。
共産が入り込む隙間は閉ざされたに等しい。
しかしすがりつく「ぬれ落ち葉」ではないが、共闘の隙間に入ろうと必死に媚びを売り続けざるを得ないのが今日の共産党の置かれた現状のようなのだ。
哀れさをも感じるではないか。
さて講演後に質問タイムが。私は
1、戦後の立憲国会時に共産党の出した「改憲案は歴史的文書」とされるが、撤回されたのか否か。
2、暴力革命路線は放棄したのか否か、
3、共産党の国会開会式ボイコット撤回に関して総括はあったのかなかったか。
4、先生の「転向」は国内外の情勢を見れば合点がいくが、「日本回帰」としての体験は何かあられたか。
この四点を聞く。
その答えは1、当時は的確な判断であったが今はその方針をとらないというのが「歴史的文書」の意味。
2、51年綱領(暴力革命論)は否定された。過ちとみとめたとのこと。
3、昭和天皇時は政治的発言があったとみていたのだが今上陛下は皆無。チャンスを狙っていたと思うとの発言。
4、については党所属中は皇室番組からは目を背けるのが党員のプライドと思ってきたが、辞めた後は、例えば佳子様が見えた際は見に行ったと表現。重しがとれたのだ。
「主義」を生きれば人はゆがんだ心になる。「主義禁止法」でも作るべき。とのユニークなご回答をいただく。個人的には転向段階から「日本回帰」段階に早く映ってくださればと願っての質問のつもりだったが。
終わりて書籍購入。私の教育通信とボールペンをお渡しし、サインを書いていただく。
共産党は長くない。そんな確信に近いものを感じる講演会であった。
蒲郡の建国を中心的に担ってくださる喚田(よびた)蒲郡市義(前議長)と建国祭実施の簡単な打ち合わせを行う。あとは後日。今日お会いできたのが正に幸運。
建国の各地の準備も着々と進んでくる。
岡崎は一二月五日に事務局会議が決まる。二日には豊田の、三日には津島での責任者と会う予定。いよいよ年末が近づく。建国準備を早急になさねば。