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草莽の記    杉田謙一

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seimei杉田

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2018.05.18
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平成2年に挙行された大嘗祭についての考え方(政府の説明)
(1)皇室典範に即位(践祚)と即位の礼を規定し、大嘗祭を規定しなかった理由
……即位の礼に関しましては、今回制定せられまする典範の中にやはり規定が設け てありまして、実質において異なるところはございませんので、大嘗祭等のことを細 かに書くことが一面の理がないわけではありませんが、これはやはり信仰に関する点 を多分に含んでおりまするが故に、皇室典範の中に姿を現わすことは、或は不適当で あろうと考えておるのであります。…… 昭和21年12月5日 衆議院本会議皇室典範案第一読会 金森徳次郎国務大臣)(
……現行の皇室典範の二十四条というものは、天皇の即位に伴いまして国事行為た る儀式として即位の礼を行うことを予定したものと解されますが、大嘗祭には宗教的 な面があるということも考えまして、これに関する規定は制定当時設けなかった、将 来の慎重な検討にゆだねる、こういうことのように考えております。 平成2年5月24日 参議院内閣委員会 工藤敦夫内閣法制局長官)(
(2)大嘗祭の意義
大嘗祭は、稲作農業を中心とした我が国の社会に古くから伝承されてきた収穫儀礼に根ざしたものであり、天皇が即位の後、初めて、大嘗宮において、新穀を皇祖及び 天神地祇にお供えになって、みずからお召し上がりになり、皇祖及び天神地祇に対し 安寧と五穀豊穣などを感謝されるとともに、国家・国民のために安寧と五穀豊穣など を祈念される儀式である。それは 皇位の継承があったときは 必ず挙行すべきものとされ 皇室の長い伝統を受け継いだ 皇位継承に伴う一世に一度の重要な儀式である
平成元年12月21日 閣議口頭了解 の別紙より)( ( 即位の礼 ・大嘗祭

(3)大嘗祭の儀式の位置付け
大嘗祭は、前記のとおり、収穫儀礼に根ざしたものであり、伝統的皇位継承儀式という性格を持つものであるが、その中核は、天皇が皇祖及び天神地祇に対し、安寧と 五穀豊穣などを感謝されるとともに、国家・国民のために安寧と五穀豊穣などを祈念 される儀式であり、この趣旨・形式等からして、宗教上の儀式としての性格を有する と見られることは否定することができず、また、その態様においても、国がその内容 に立ち入ることにはなじまない性格の儀式であるから、大嘗祭を国事行為として行うことは困難であると考える。…… 平成元年12月21日 閣議口頭了解 の別紙より)( ( 即位の礼 ・大嘗祭の挙行等について

(4)大嘗祭の費用
大嘗祭を皇室の行事として行う場合、大嘗祭は、前記のとおり、皇位が世襲で▼ …… あることに伴う、一世に一度の極めて重要な伝統的皇位継承儀式であるから、皇位の 世襲制をとる我が国の憲法の下においては、その儀式について国としても深い関心を 持ち、その挙行を可能にする手だてを講ずることは当然と考えられる。その意味にお いて、大嘗祭は、公的性格があり、大嘗祭の費用を宮廷費から支出することが相当で あると考える。 平成元年12月21日 閣議口頭了解 の別紙より)( ( 即位の礼 ・大嘗祭の挙行等について

大嘗祭の沿革
▼平成2年に宮内庁が報道機関等に配布した資料(大嘗祭について)より
大嘗祭の沿革をたどると、その起源は、新嘗の祭に由来する。新嘗の祭については、 ( ) ( ) 、我が国最古の歴史書である古事記 712年に撰進 や日本書紀 720年に撰進 において 皇祖天照大神が新嘗の祭を行われたことや上古の天皇が新嘗の祭を行われたことの記述 が見られるように、その起源は、それらの歴史書が編纂された奈良時代以前にまで遡る ことができる。
なお、新嘗の祭が、我が国の社会に古くから伝承されたものであることは、常陸国風 土記(720年ごろに完成)に引く説話や万葉集(8世紀半ば過ぎに編纂)の歌によって も明らかである。
7世紀中頃までは、一代に一度行われる大嘗祭と毎年行われる新嘗祭との区別はなか ったが、第40代天武天皇の時(御在位673年~686年)に、初めて、大嘗祭と新嘗祭とが 区別された。爾来、大嘗祭は一世に一度行われる極めて重要な皇位継承儀式とされ、歴代天皇は、即位後必ずそれを行われることが皇室の伝統となった。
なお、歴代天皇のうち大嘗祭を行われなかった若干の例があるが、それは、大嘗祭を 行われる前に退位されたり、或いは相次ぐ兵乱などのために経費の調達が困難であったことにより 大嘗祭を挙行することができなかったという特殊事情があったからである
(引用は原文のまま。
以上を見ても大嘗祭は米以外の作物を含めた五穀の豊穣を、国家国民の象徴たる天皇陛下が祈られる公的な行事。内閣の助言と承認がなされるか否かで国事行為になるかならぬかの判断の祭が出てしまう。まともな内閣で行けるか否かが問われるとき、全面委託は恐ろしくてなしようがない。万が一左翼内閣が誕生していたら内容改変を条件とされてしまう。

「その(大嘗祭の)挙行を可能にする手だてを講ずることは当然と考えられる。その意味にお いて、大嘗祭は、公的性格があり、大嘗祭の費用を宮廷費から支出することが相当で あると考える。」「皇位の 世襲制をとる我が国の憲法の下においては、その儀式について国としても深い関心を 持ち、その挙行を可能にする手だてを講ずることは当然と考えられる。その意味にお いて、大嘗祭は、公的性格があり、大嘗祭の費用を宮廷費から支出することが相当で あると考える」

この政府の判断を尊重して「宮廷費」の支出でこれを行う決定は現実性があろう。個人的には天皇ご即位にかかわる重要な儀式であり、憲法のうたう「国事行為の中の儀式をおこなう」に入るべき内容であるとしてほしいのであるが。布教などの宗教活動を成すわけでもなく、建物も永続的なものではなわけであり、「天皇即位にかかわる重儀」として国事行為とすべきものとおもう。

さて、その中央レベルでなされる大嘗祭を担保するものが全国の 2か所に選定される悠紀斎田と主基斎田。ニニギノミコトに命じられた瑞穂の国造りを見事作りなした証明としての米の献上の儀式であると私は解しています。。

岡崎中島の大正天皇悠紀斎田では御田植祭りの厳修をなし、今年が103年。
この儀式継承は郷土の大きな誇りでもあります。
しかしその意義をご理解くださる方は保守界・神道界にいかほどお見えであったのか。
少なくとも、宮内庁職員ですら数年前まで、その神事とお田植祭りの継承の事実を知られなかったのだ。100周年の記念祭に行幸啓なりおなりをお願いしに代表が上京した際にはその継承の事実と重みについて知るかたがいみえなかったと語る岡崎の関係者もいらっしゃる(たまたまお会いした職員の方が知らなかっただけだと思いたいが)。大いに驚かれ、3年まえの100周年には秋篠宮両殿下のおなりとなったのであります。このことは来年の大嘗祭の厳修にとって重大な一歩をしるしたと私は思う。

日本敗戦とともに憲法が変えられ、同時に明治大帝欽定の皇室典範が失効とされ、今の皇室典範が法律として制定された。この新皇室典範の特徴

皇族のご意思は反映されない国会議員の定める法律とされたこと。
そして最大の問題点は
神器のこと
大嘗祭のこと、
元号のことが記載されなかったこと。
この3点は
歴代の天皇の伝統的祭祀にかかわるもの。
しかし当時は皇室尊崇の国民意識は極めて高く、憂国の憲法学者も実に多かった。日本国の象徴として、国民統合の象徴として存在される天皇の存在の根源をなす伝統文化が記載されないことへの危機意識は識者の中でも相当のものがあった。

神道指令下にあっても靖国神社は存続されもした。
津の地鎮祭判決も、公の機関が、永く一般国民が社会慣習として認め守ってきた儀式に公的に関与、執行しても違憲ではないと判断し判決した。
不文法として法理が固まっており、たとえ明文がなくとも法的根拠となりうると法学者も一般国民も認識していた
元号はそのまま昭和が使われていた。

しかし、僕らは元号法制化を必死におこなった。なぜか。これを使わずに西暦をもって年を認識するように主張する立法がなされようとしたからであります。
中日新聞平成元年1月8日号、(昭和天皇崩御の翌日号)3ページにかく記載がある。元号制度そのものにも批判の声があると記したうえで元号強制を批判する声を載せている。
「平和運動団体ピースボートを主宰される辻元晴美さんも「平成と聞いてお間抜けという感じがした。若い世代は西暦で教育を受けているから誕生日ぐらいしか元号はぴんと来ない。新元号は若い人こそ長く付き合うのに、明治生まれが勝手にやって若者の声を聞いていない。まるで戦前の感覚だ。アジアを中心に外国で仕事をしていくのに、元号は弊害になっていくと思う」と痛烈。
以上中日新聞引用。なお彼女は自ら出版した書籍にて「天皇と同じ空気を吸いたくない」と主張もしている。現在立憲民主党
不文法は明文法に対しては敗北してしまう。天皇の元号大権が崩される危険性に対して、明文化の運動を行ったのである。
幸いにしてこれは通った。陛下の元号大権はかろうじて守られたのであります。同様に国旗国歌法案も不文法を覆そうとする日教組などの攻勢に対して、明文化したものでありました。
残りの二つ。
祭祀大権について。これについては昭和40年代初期に起元節の復活として建国記念の日が祝日として定められた。これも戦前を知る多くの国民がいて、野党もそれなりに建国の記念の日を置くことには同意。他の祝日と抱き合わせでしかも日にちを定めずに祝日として制定できた。もし2月11日を入れての審議であったなら反対勢力の結集に根拠を与え、制定に向かえなかったかもしれない。力関係を読み取った政府や保守議員の作戦勝ちであったように思う。
法整備が成った今、これを生かさぬ道はない。愛知では建国祭を県下15会場にて実施。議員も堂々とご参加に成る。
昭和49年には剣璽御動座の制度も復活。国思う国民の手で伝統は回復されつつあった。
伊勢神宮へのご参拝も当たり前として実施される。皇室と神社との関係はいかに左翼政党が伸びようとも不変であります。
がしかし、祭祀大権の重大な一つ靖国神社へのご参拝が昭和天皇時代に途絶えてしまった。今上陛下におかれましても実現できず。代拝にとどまっているのはまさに総理大臣の責任が大きい。むろん左翼マスコミのしでかした大罪。富田メモなどを挿入して政治利用をなした者共の責任も実に大きい。陛下の祭祀大権を奪う行為など、日本歴史に残る罪と言えよう。一刻も早く是正の道筋を政権はつけねばなるまい。
いつまでも靖国神社や護国神社を一般の世俗的な宗教組織と同列にした宗教法人にしておくのは大きな問題だと思う。国のために命を落とされた英霊を祭ることがなぜに個人救済を旨とする宗教活動とされるのか。伝統文化の尊重以上に国がなすべき重要な慰霊行為ではないか。国家を維持するに必要な祭祀法人として早急に位置付け直さねばならないのではないか。伊勢皇大神宮熱田さんなども同様、無論国家存立にかかわる重要な神社。別枠での祭祀法人化が必要ではなかろうか。文化財保護においても国宝となれば扱いも違って当然。神社も同様であろう。
最後の一つ大嘗祭。
国家の慣習法・不文法として先の今上陛下御即位時にはこれを行うことが曲がりなりにもできた。
大正天皇・昭和天皇も旧憲法と旧皇室典範そして明治42年の登極令に基づき厳修されたのでした。
明治天皇の国民的敬愛の情からお体の優れぬ大正天皇への譲位。ここで岡崎の民はこぞって新天皇を祝福し感謝し、登極令にたがわぬように心を込めて稲を作って奉納にこぎつけたのでありました。
明治大帝から大正天皇への継承はそれこそ必死に国を挙げて行った。国民の選定への同情や敬意は強き事限りなく、乃木将軍ご夫妻は殉死をなされたほどであります。
そのとき、代替わりの祭祀大嘗祭へ向け必死に行ったのが岡崎の悠紀斎田の指定を受けた町民の方々。国の祭祀に寄与できる喜びを町民こぞって体験したのでした。
昭和天皇のご即位も同様。国民の期待も大きくこれも盛大に滋賀県野洲市三上にて悠紀斎田が作られそのお田植祭りの伝統も90年近く継承されている。

しかしここで敗戦。その後の皇室典範改正。
今上陛下の大嘗祭は占領後つまり米国製憲法下での最初の大嘗祭でした。
皇室典範に明示されない事項は旧典範によりこれを行うこととして、それなりに行うことができたようでありますが、今上陛下の場合、悠紀斎田の指定は遅れたのみならず、その地でのお田植祭りはなされていないままです。秋田県を順に回って神社庁が担ってくださっていますが。国民と陛下をつなぐ、天皇になられるための最大の祭祀・大嘗祭を守らねば
こう思って私は南秋田郡五城目町の太田黒様や関係者のところへ行き、ぜひ地域での御田植祭りを復活してほしいとお願いに行ってもいました。今上陛下のお元気なうちにやらねばと。野洲市にも参りました。PTAが主体的に動いてくれなくなったて、との声を聞き岡崎の様子を報告し、法的に全く問題なしとお伝えしました。なんとか岡崎の御田植祭りにお越しくださいませんかとお願いもしましたがなにせ一個人の希望にすぎず、公は動くはずもありませんでした。
なんと、ついに陛下の退位のご希望が出されてしまいました。名誉ある斎田の記念碑でなく、生きた継承がなしえないまま大嘗祭を迎えねばならないのか。落胆しました。陛下に申し訳ないと。全くの力不足です。
今回、政府は今上陛下の礼に沿ってこれを行うと方針と言います。
冗談じゃない。それでは陛下の場合と同じになってしまうではないか。

何とか岡崎や野洲市の方式で斎田を継承しなくてはならない。
陛下の「退位」の本当のご心配ごとは大嘗祭などの即位の伝統が守りうるのか、ではないか。こうも思いました。
皇太子ご即位時には大正天皇の悠紀・主基斎田に御なりくださいました秋篠宮両殿下がみえ、陛下もお見えでありますから伝統に沿った大嘗祭がつつがなくなしえる。これもお考えになられたのではないか。いやきっとそうだ。

伝統に沿った大嘗祭がなされねばならない。ポイントは皇室への思い、国家の伝統文化継承への思いを国民がいかに抱くかでありましょう。
皇室典範改正、このまま登極令の法令化などがなしえず、不文法慣習法でこれをなすことがどれほど危険か、愛国者は心しなくてはなりません。
しかし皇室に害を及ぼそうとする輩は国内外にいると思わねばならないのです。彼らの攻勢に対して国思う我らは何をなさねばならぬのか。
法整備が今のところなしえない。かといって委縮などしてはならない。平成の民として最善を尽くさねば。」
私は大正昭和平成の御代の悠紀・主基6市町村の連携しかないと様々に訴えを始めました。びびたる主張ではありますが。
昨年所先生から明治天皇の悠紀・主基の復活ができることになったよとご連絡をいただきました。ビックリ致しました。
では8市町村で。夢は大きく広がりました。これで大嘗祭の全き実施ができるのかも。
今回、その所先生が岡崎の悠紀斎田御田植祭りにお越しくださることになったのです。6月3日です。そう、8市町村での連携、サミットを開き次の悠紀・主基の地での御田植祭りを支援する体制づくりを成そうとの願いからお越しくださるのです。
早速講演会を行うことにいたしました。
登極令が廃止された以上法的には弱い。しかし伝統の力でその弱さを克服できる。8市町村の連携で弱きを補い敗戦の桎梏を打破できるのでは。

元号法がなかったら官庁など平成の元号が使えなくなっていたでしょう。左翼はしてやったりと西暦オンリーにしてきたでしょう。
同様に、サミットの力で大嘗祭という大事業を本来の形に戻して行うことができるはず。
われらは国に対して何をいかにするべきか。
法案など作る立場になきわれらは皇室や国家への国民の思いを深めていくこと。官庁には官庁のなすべきことがあり国民には国民のなすべきことがあるのです。起元節を復活させ、元号法を制定した戦後日本人もいるのです。
一歩ずつ前に進む。オリンピックで国旗を揚げて国歌を歌い日本人としての喜びを感じたこの体験をまずは原点に置き、祝日国旗掲揚をより広範に行き届かせ、公共団体からのメッセージを出させる、奉迎運動にもっと関心を抱いていただく。
これから必死にならねば将来の代替わりに国民の思いが発揮できなくなる危険性が残る。
元号法の制定以上の国民運動を作らねば陛下のご心配にお答えできないのではないでしょうか。
今私どもは国旗づくりを急ぎ21の皇太子の奉迎準備に必死。さらに陛下御即位30年の幟500本の追加作成に入っています。

祝祭日には友らと県内1300本の国旗を掲げてもいます。明日は護国神社清掃も行い日本を支えてくださった英霊に感謝しにまいります。
何も特別のことをしなくてもいいしできはしませんが、できることを成しながら国に感謝するおこないをなすだけです。
力も知識も金もない。しかし一歩ずつ前に進む。これだけです





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Last updated  2018.05.18 17:01:45
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