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今日は長崎原爆投下の日でもありソ連の対日侵略の開始日でもある。 対日戦終結に際してアメリカは当初ソ連を引き入れようとした ヤルタの密約においてヨーロッパ戦線の終結後、ソ連参戦は決定されていた。ソ連は日ソ中立条約を結ぶ日本の終戦仲介要請を受けいれた。しかし老獪なるソ連は、連合軍側について漁夫の利を得るか、日本に恩を売り利を取るか。いずれにせよ巨万の富を得ることができる立場になった。 参戦により「外モンゴルの現状維持」「満州におけるソ連の権益を回復」「大連港を国際化」「南樺太の奪還」「千島併合」の五項目要求をなし、それができれば連合国に加入する道、またもっとよい条件で、しかも犠牲を少なくして領土を手にできれば日本の肩を持って仲介の労をとる道。 何しろ日清戦争後の三国干渉では労せずして、脅すだけで遼東半島を手にした体験を持つ国だ。 日本は仲介の返事を律儀に待っていたのであるが、待てど暮らせど返事がない。そうこうしているうちにポツダムでの会合が開かれることに。スターリンも参加し、日本の要請を実施するか否かはそれからきめるとした。。 ついにポツダム宣言が出されることになる。ソ連はあせった。終戦工作に乗り遅れては元も子もない。 その中で8月6日、ついにアメリカは原爆の人体実験を日本でなしたのだ。これで日本の敗戦は確実。アメリカはソ連の参戦を得ずして日本を敗北にいたらしめることを確信。しかしウラン型原爆の十分な成果が実証できてもまだプルトニウム型原爆の人体実験が終わっていない。人道主義など彼らの頭になく、もう一つの原爆武器の人体実験ができるのは戦争終結前の今しかない。 同様にソ連は日本の降伏を恐れた。まだ侵攻準備が整わない。その前にやめてもらっては取れる部分がない。 日本からの降伏条件問い合わせにソ連はなるべく答えさせず、時間稼ぎをなした。天皇条項や海外にいる将兵の速やかな帰還計画などの問い合わせである。 返事がごまかしと知った日本は再度質問。こうした中でついにソ連は対日参戦準備が前倒しで整い、8月9日、ついに念願の参戦を実行し、満州国、樺太南部、朝鮮半島、千島列島に侵攻した。 日本は人類史上最大極悪な原爆実験被害国になり、同時にそれまでの調停国に裏切られて攻撃を受ける二重の非道を体験するのである。そしてそれらはアジア民族に対する凶暴な白人文化の非道極まりない最大の悪行であり、独善的な超大国のコアなる思想の本質を暴露するものであった。
以後日本は矛を収め、ソ連軍に降伏。この際の不幸な許しがたきソ連兵の暴行は三ヶ根山の「お町の碑」や故神谷幾郎先生らが作って慰霊されている「士魂碑」などに詳しい。千島北端の占守の戦いは 戦後、8月18日からかいしされた武力戦である。豊橋向山ご出身の池田戦車隊長らの決死の特攻によりここで一週間食い止めたため、北海道占拠は食い止められたのである。
占守島での戦いはソ連側死傷者数は日本側死傷者約1,018名、ソ連側約1,567名。日本が勝っているのだ。このとき神谷氏は戦車の故障で動けず無念の捕虜となられた。その同僚に対し、毎月名古屋からお見えになって慰霊されていた。 占守島の生存者はもう2.3名しか見えないという。 先日、そのおひとり、九五歳の野田肇氏に友人の中川法宏氏と小倉氏がインタビューに行ってくださった。記録映像を取られたとのこと、早く見てみたいものだ。 思い返してもソ連ロシアの非道は目に余る。 日本降伏後、彼らはポツダム宣言に違反して60万いや一説によれば八〇数万の男や女をシベリアに幽閉し過酷な労働に従事させた。死者は6万人というがおそらく20万人を下らないとの調査研究も報告されている。 北方領土にて大演習をしたり、北海道の一部北方領土で軍事演習を始めてもいる。彼らは9月2日ミズーリ号調印の日を対日戦勝記念日と定めた。
事務所に弔旗を掲げ、原爆投下とシベリア殺戮によって亡くなられた皆さんの鎮魂を祈った。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2018.08.09 10:32:50
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