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一週間後の2月11日は建国記念の日です。 建国記念の日とは 文字通り「建国を記念する日」です。祝日法によれば「建国をしのび、国を愛する心を養う日」と定められています。「紀元節」とかつて呼ばれていたこの日は、神武天皇が即位されたとされる日。敗戦後、占領軍が真っ先に止めた祝日です。曰く軍国的であると。 しかし、この建国の理想が果たして何処に軍国的であるとされるのでしょう。
他国は、勇ましく戦いとった建国ですので軍国調であるのは致し方ないことですが、日本は長き歴史の国であり、逆に戦いへの賛美など無いのが特徴です。「刃に血塗らず、言向け和せ」と言うのが国家建国の理想であるのですから。 神武天皇の詔に「この上は天照大神のお心に沿うように大和の国の礎をしっかりするようにお互い豊かな心を養いましょう。人々が皆幸福に仲良く暮らせるように努めましょう。天地四方が一つ屋根の下の大家族のように仲良く暮らそうではないか」と、八紘一宇の方針を出されました。 「一国の神話や伝説は正確な史実ではないかもしれませんが、不思議とその民族を象徴します。これに民話の世界を加えるとそれぞれの国や地域の人がどのような自然観、生死観を持っていたか、何を尊びなにをおそれたか、どのような想像力を持っていたかなどがうっすらとですが感じられます。」(平成十年国際児童図書評議会世界大会での皇后陛下ご講演より) おおらかな神話の世界の継承が平和な日本の精神を創り出しているといってもよいかもしれません。国中いたるところに神話にちなんだ遺跡や社があり、それに囲まれ、正しきをなせと諭されているようにも感じます。 明治憲法も一八八九年のこの日、二月十一日を選んで施行されました。民族理想を継承する決意の日として位置づけたのです。価値観がゆれ、日本の美風が損なわれている今日、この建国の日を再認識して、行きとおしの人生と国家の命を感じるのはきわめて大切なこと、文化の継承であり神聖な人間存在を見つめる大切な日でもあります。民族のロマンに触れるよき日がこの日なのです。
今日は豊橋の陸軍墓地清掃の日です。毎月第二地日曜の午後1時から3時過ぎまで行います、今日はなんと三ヶ根山でたまたまお話できた方がはるばる名古屋からお越しくださったり、他の清掃ボランティアの方が集ってくださったので、全員で19名の参加でした。祭壇を設け国旗を掲げて心を込めて奉仕させていただきました。休憩中に建国行事のご案内や、当日お配りする資料を配布させていただき大嘗祭とは何かを友に学ぶことができました。 歴史が大好きなのですとおっしゃる女性のかたとお話するときっかけはご尊父がお亡くなりになったこととおっしゃる。亡くなって父はどこに行ってしまったのかと思ったとき、生前、『人生最良の日』 と語れらた日があったと思い出された。それは氏子総代として神社の社務所をおつくりになった日なのだそうです。以来父の愛した日本歴史とは何かと様々な神社に参拝に出かけられ、そのたびごとに美しく尊い歴史に築かれたのだそうです。学べば学ぶほど歴史が面白くなり日本のすばらしさを感じるようになったのだそうです。建国の講師をお知らせすると必ず参りますとのこと。うれしいことです。
三ヶ根グリーンホテルに9日に行くと言われる青年が見えた。客人がお見えになるときによくここを使うのだそうな。昭和天皇がお泊りになったお部屋にとまるとのことでしたのでなぜに陛下がお泊りになったのかご存じかと聞くと知られない。そこで殉国7士の墓を仰ぎ見られて黙とうを成されたお話をすると驚いて見えた。
2月7日は北方領土の日
また青年に千島の北の端、占守の決死の防衛を成したが故にソ連は北東北海道領有を断念したこと、その占守島防衛の英断をくだされた戦車隊長の池田末男連隊長は豊橋のご出身で三ヶ根比島観音慰霊碑群の中にある「志魂の碑」に祀られていることを語るとぜひ参拝したいとおっしゃる。うれしいつながりであります。
さて、ロシアの不法占領が続く北方領土。樺太千島交換条約を見ても地島として日本の領有が明示された地は得撫以北。4島は北海道の付属棟であり日本が連合国に対して放棄した地ですらない。無論南樺太・千島はサンフランシスコ平和条約に調印しなかったソ連に委託占領の権利があるかもしれないが領有権はない。もっと言えば占領統治の占領軍がソ連となっただけで統治が終わった現状ではアメリカ中心の占領軍の合意により日本へ引き渡されるべき地である。8・9の反ソディ―が北方領土の日でなく2月7日とされたのは平和裏に日露両国で条約が交わされた日だから。政府は 1855年(安政元年)伊豆の下田で、「日魯通好条約」が結ばれ、択捉島とウルップ島の間に国境を定め、択捉島以南の北方四島を我が国の領土として国際的にも明らかにされた歴史的な意義をもつ日であり、平和的な話し合いの中で領土の返還を求める北方領土返還要求運動推進の目的に最も合った日として設けられたものです。 としている。 返還の交渉に日本統治の責任国家米国を入れて占領委任を解除する状態から始めるべきではないのか。少なくとも後方支援をアメリカになさしめねばなるまい
羽田八幡社に参拝。次いで蒲郡に走り、M氏に建国配布資料を届けながら状況説明をしていただく。帰社6時。
読売新聞トップに新元号決定後に皇太子にお示しすることが報じられていた。昭和憲法下において初の改元であるが、国事に関する権能を持たれなくなった憲法規定のため、陛下の御裁可が後回しになるという。形的には事前に皇太子にお見せして御裁可いただくわけで、辛うじて皇室の元号大権は守り得る状態になる。しかし最終決定の前にご判断を仰ぐべきであり、さもなければ政府の元号大権と言いだすものがでるではないか。審議者並びに順序も非公開にしておくべきであろうに。
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Last updated
2019.02.03 18:53:39
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