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午前6時より、奉迎国旗の数揃え。岡崎の追加と、あま市の配布分・大治町の追加分を整理して箱に詰める。講演会の参加促進。 12時大東塾影山正治先生の追悼参拝を岡崎福岡町の随神大孝教会にて行う。 日本人にとって元号はあまりに当たり前。しかし、共産党さんは元号を使いながらも「元号法」の撤廃をしつこく主張する。 占領統治の残滓の一つが元号維持の不安定さであった。法的な根拠を奪われていたのだ。 昭和天皇の御代の終わりにぼくらは必死に元号法案の法制化に取り組みました。私はすでに教員になっていた。無論必死に生徒の人格形成や学力形成に向け努力をしていました。同時に校長会長にお会いしてぜひ校長会として決議を上げてくださいとお願いもしました。
元号法制化の決定がなされる直前の五月二十五日に、大東塾塾長の影山正治先生は、次のような辞世の歌を残して割腹自決をなされたのです。 これほどの先生が命を捨てていかねばこの国の法律一つできないのか。とてつもない力が日本の自立を阻止しようとしているのだと痛感したことを覚えています。
一死以て元号法制化の実現を熱祷しまつる
民族の本(もと)ついのちのふるさとへ はやはやかへれ戦後日本よ 身一つをみづ玉串とささげまつり 御代を祈らむみたまらとともに
法案はついに昭和五四年六月六日に国会で成立を見たのです。建武の新政の建武」以来の伝統は守られたのでした。 本当に偉大な活動でした。保守界最大の理論家葦津珍彦先生がおほめくださったことを思い出します。影山先生はじめ多くの愛国者が必死に守ってくださった元号を軽んじるなど、私にはできません。 嘗てを思い出しつつ感謝の思いを抱き、参拝させていただきました。 敬愛するSさんの車の番号が「の ・180」うしろから「れいわのいわれ」(018の180)と読んで、「先生こそが令和の意味を語らにゃならないですよ」とこじつけて講演要請をさせていただきました。
奉迎道路の清掃に行くとなんと業者の方が9名で先日私のやり残した場所の草取りをしてくださっているではないか。大感激。さすが岡崎市。作業に入ってくださっていた皆さんにお礼を言いながら缶コーヒーの差し入れをさせていただく。市役所の本気度が知られ、本当にうれしかった。 県議事務所に行き式典参加の確認をする。他の友にも、現職高校の教諭にも会の案内と陛下の岡崎行幸啓と奉迎の案内をする。やることが遅く、しかられてばかりですが、やり抜かねば結果もついてこない。やらずに後悔はしたくない。あと一週間、動けるだけ動いてみたい。 明日は土曜のあま市の奉迎地の現地視察を友らと行う。すでに大治町とあま市の奉迎地にて国旗配付をしてくださる方が14名決まった。奉迎場所も通常このくらいでしょうからほぼ国旗配布が可能ではないかと思う。万全を尽くしたい。
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Last updated
2019.05.25 19:42:53
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