伝国の玉璽捜査班に新たな動きがありました!
北斉書の辛術伝に玉璽を献上した、という記述があったのです。
ありがとう北斉書を書いた人と訳した人。
〔玉璽の行方 晋→北斉〕
辛術
(P479)広陵に拠点を移した。伝国の玉璽を獲得してギョウに送り、文宣は玉璽を得たことを太廟に報告した。
この玉璽は秦が造ったもので、一辺が四寸の大きさであり、印のつまみの部分は交差した盤龍が造形され、「受命于天 既寿永昌」という字が刻まれていた。
★これはホンモノっぽいぞ。
玉璽の外見や秦→魏までの流れは、前回の伝国の玉璽捜査班の記事をご覧ください。
辛術伝には玉璽のこれまでの遍歴も書かれていて、前漢→後漢→魏→晋の懐帝司馬熾→劉聰(五胡十六国の漢)→後趙の石氏→東晋の穆帝司馬タン→宋・斉・梁→侯景→侯景の配下が辛術に献上。だそうです。
これで秦から北斉までつながった(歓喜)。
この後北斉から北周→隋にちゃんと伝わったのかな。
(おまけ)
後主穆后
(P153)折衝将軍の元正烈が、ギョウ城の東方の水中で印璽を発見して献上した。それには「天王后璽」の文字が刻まれており、おそらく後趙の石氏が制作したものであろう。
★皇后用の印璽もあるのね。