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異論・極論・直言――マスコミが言わない解説、提言

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2010.07.18
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カテゴリ:カテゴリ未分類
 (改正臓器移植法の骨子は2つ)

 改正臓器移植法が施行されたことにともない、多くの

新聞、テレビなどのマスコミが臓器移植の話の特集を組

み、かなりの時間やスペースを割いて、報道している。

 

 しかし、その報道の仕方は、賛成派、反対派の両方の

意見を紹介し、取材したという記者、リポーターが「難

しい問題です。考えさせられてしまいます」というばか

りで、多くの国民の誤解と混乱を与えるものでしかない。

 

 今回の改正のポイントは2つで、1つは、臓器提供が

15歳以下の人からも可能になったことである。これま

での日本の移植では、提供者(ドナー)は15歳以上と

いうことになっていたために、15歳以下、特に子供へ

の移植が事実上できなく、死を待つか、多額の費用を支

払って海外に行って受けるしかなかったのが、可能にな

ったことである。

 

 もう1つの改正点は、提供者が脳死になった時に、事

前に、提供の意思表示がない場合、親の判断で提供がで

きるということである。日本では、海外と異なり、ほと

んどの人が脳死の時に、臓器を提供するか、または拒否

するかという意思表示をしていない。このため、提供が

進まないという事情があるための措置である。

 

(WHOの圧力で成立した改正法)

 日本では、今回の改正ではなく、当初の臓器移植法案

の審議でも、もめにもめ、法案がいつまでも成立せず、

難産の末、やっとできあがった。その時、反対派を説得

する1つの材料になったのが、子供を提供者にしないと

いうことだった。しかし、このために、子供への提供が

非常に難しくなり、移植を待てずに死んでいく子供が多

くなるということにつながった。

 

 今回の改正法でも、議論が紛糾し、成立が非常に難し

い状態が続いた。しかし、WHOからの1つのメッセー

ジで、それまで紛糾していた国会がぱっとまとまり、改

正法案が成立したのである。

 

 WHOのメッセージは簡単である。日本では、国内で

の移植が難しいので、海外に出て移植を受ける人が多く、

いわば、金で外国人の臓器と、機会を買うということに

なり、それは駄目で、自国内でしっかり提供者が出る仕

組を作りなさいうことを言ったのである。

 

 では、WHOはなぜ、そんな勧告をしたのだろうか。

まず、どこの国も臓器が余っている訳ではなく、順番待

ちの人がいる。それを海外から来て、金を出して優先し

てもらうというのはおかしいということである。

 

 また、臓器をヤミで売買する組織があり、日本のよう

に金で外国の臓器を買うかのような行動は、そうした組

織を助長しかねないということが次の点である。

 

 そして、何よりも、最大のポイントは、「日本はいつま

でも、世界の常識から逸脱したことをやっているのだ。

いい加減にしろ」といういらだちである。

 

(「脳死=人の死」は世界常識)

 世界各国が密接に結びつきあった現在では、主要国の

1つが、世界とまったく異なった基準で運営されると、

他の国に大きな影響が出るので、国際機関はあまりに非

常識なことは是正しろと勧告してくる。

 

 今回の参議院選挙の後、すかさず、IMFが消費税の

段階的、速やかなアップをし、少なくても15%程度に

することを勧告してきたことなどは正にこれであり、「あ

なた一カ国のことではないのですよ」ということを言わ

れる時代なのである。

 

 臓器移植について、WHOや世界の医療関係者が日本

にいら立っているかと言えば、その議論が世界よりも、

40年も遅れているということなのである。

 

 人の死は昔はどこの国も心臓死だった。それが医学の

進歩で脳の仕組み、心臓の意味などがわかってきて、1

960年代に死についての議論が盛んになってきた。そ

して、アメリカのハーバート大学が人の死は脳死であり、

脳死の判定基準はこういうものだという、いわゆるハー

バート基準を作った。

 

 これを受けて、1968年に、オーストラリアのシドニーで

開かれた世界医師会総会で、「死に関する声明」である

シドニー宣言が出て、世界の医療関係者が「人の死=脳死」

ということを採択したのである。

 

 医療技術の最先端を言っているアメリカでは、1970年

代に、大統領の諮問委員会を作り、死についての国をあ

げての議論をした。この委員会は医療関係者だけでなく、

法律家、宗教家、政治家、社会学者など多くの分野から人

が出て、マスコミを通しては勿論、全米各地で討論会を開

催して、死についての議論をした。

 

 そして、この国をあげて、一般国民を巻き込んでの議論

の結果、法律家も宗教家も「人の死は脳死」という結論と

なったのである。これが1981年のことである。今から

30年程前のことだ。

 

 これを受けて、世界の各国でも同じような議論をして、

「脳死=人の死」という世界の常識が欧米だけでなく、中

東、中国を含むアジアにも定着したのである。

 

(議論を混迷させるマスコミの取り上げ方)

 日本で臓器移植問題が議論される時に、アメリカの大統

領委員会のような徹底した議論をせず、事実誤認の話がま

かり通ることが、混乱の最大の原因で、それを更に拡大し

ているのが、マスコミである。

 

 臓器移植に反対する人のポイントは2つである。1つは

脳死から生き返ることはあり、脳死=人の死とは認められ

ないということ。2つ目は、今回のような改正法案が通る

と、死んだ後に勝手に臓器が取り出され、大変になるとい

うことである。

 

 これは2つとも完全に間違っているのだが、それをマス

コミが大々的にとりあげるので、何も事情がわからない一

般の人は、そうかと思って不安になり、話がややこしくな

ってしまうのである。

 

 まず、脳死から人間が生き返ることはあり得ない。脳死

から生き返ったということを言い、NHKにその例の患者

を示して、大きくとりあげられた、ある大学教授がいる。

このNHKの番組はその後も、臓器移植の議論の時に、反

対派の論拠としてよく使われた。

 

 しかし、そのことはNHK、また、その他のマスコミは

一切報道していないが、このことが医学会で取り上げられ、

この大学教授は、「脳死からの生還などあり得ない。おかし

い」という質問にまともに答えられず、「自分は脳死から生

き返ったとは言っていない。NHKに勝手のそう取り上げ

られた」と発言して、NHKの番組の内容を否定したのだ。

 

(脳死からの生還はあり得ない)

 人間の体は全体が一度に死ぬ訳ではない。早く死ぬ場所

もあるし、心臓が止まった後もしばらく生きている組織も

ある。死人の髪の毛が伸びることがあるということなどは

報告されている。

 

 かつての「心臓死=人の死」が否定された理由は簡単で

ある。医療の発達で、人工呼吸器が出現し、進歩してきた

ので、その人が死んだ後も、人工呼吸器を動かしていれば、

体に血液と酸素は運ばれ、それで体は温かさを保つことが

できるようになったのである。

 

 しかし、死者にいつまでも、人工呼吸器をつけておくの

は死者に対する冒涜でもあり、そのために、何人もの医療

関係者がそれに従事しないといけない不合理さが言われ、

死と判定された場合は、人工呼吸器を止めるのが世界の常

識となった。

 

 人工呼吸器で左右される心臓死と異なり、脳死の定義は

明確であるし、医学的に判定できる。脳死になると、脳が

溶け始める。そして、体は血液や酸素が行く場所と行かな

い場所が出てくるので、医療関係者が体を見ればわかる。

 

 脳死から生き返ったという話は、先のNHKで取り上げ

られた日本の例もそうだが、きちんとした脳死判定を行わ

ず、「脳死に近い状態」を「脳死」と判定したに過ぎない。

 

(1つのルールで縛ろうとする愚)

 反対派が言っているもう1つの論拠である、意思に反し

て、勝手に臓器が取り出されるという話も本当にナンセン

スである。

 

 臓器移植のルールは、死後、臓器を他人にあげる自由、

あげない自由。他人からもらう自由、もらわない自由の4

つの自由が大原則である。

 

 人間には、それぞれ、意見や主義主張がある。だから、

臓器を提供してもよいと思う人もいるし、提供したくない

人もいる。もらう側も、もらっても生きたいという人もい

れば、そこまでして、生きたくないという人もいる。

 

 それを、1つのルールで縛ろうとするのが、反対派の人

の発想法で、他人の行動を規制する権限があなたにありま

すかと、筆者は言いたい。

 

 あげたくない人、自分の臓器を死後、取り出してほしく

ない人は、「ノー」の意思を明確に表示すればよいだけで

ある。成人だと、運転免許書の裏に意思表示をすることが

できるようになっている。

 

 未成年の人については、それこそ、反対派が「提供拒否

カード」のようなものを作り、それを普及させれば、自分

の意思に反して、死後、臓器が取られるという心配はなく

なる。反対をするだけでなく、こうした具体的な行動に出

る方が意見が違っても余程尊敬できるが、日本では反対す

る人は声だけ発するが、行動は起こさない。

 






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Last updated  2010.07.18 11:44:36
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