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異論・極論・直言――マスコミが言わない解説、提言

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2018.04.15
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カテゴリ:カテゴリ未分類
(終戦後、天皇を暗殺すると公言した日本共産党ナンバーツー)
 皇室については、共産党や、社会党の流れを汲む社民党などは、「国民は平等だというのに、国民の上に天皇を置くという身分差別をするのはおかしい。天皇制は要らない」と言っているのは有名な話だ。
 戦争中に亡国の活動集団として逮捕され、獄中にあった日本共産党のナンバーツーの実力者、徳田球一はGHQのお蔭で刑務所から釈放された時、出迎えた人達(その多くは在日の人だったが)に、「さあ、これから天皇を殺しに行こう。皇后は犯しに行こう」と言ったという話が伝わっているくらいだ。
 これは冗談で出た話ではない。徳田はその足で、アメリカ占領軍、GHQが入っている第一生命ビルに行き、ビルの前で、「GHQ万歳」を大声で叫んでいる。
 戦時中、外国を利し、日本を滅ぼす活動をしていて、日本政府から取り締まりの対象だった共産党を、GHQは刑務所から釈放し、その活動を支援する事を積極的に行った。在日の人の犯罪者で、極悪な犯罪をしたとして刑務所に入れられていた人も一斉に解放した。だから、GHQ様々だという訳なのである。
 でも、ほとんどの国民が敗戦で、失意の状態になり、明日の生活をどうしようか途方に暮れている時に、大人数でGHQ万歳を大きな声で叫んだのは、異様な光景だったのだ。
 現在、天皇制度を廃止するのは憲法を改正しないといけない。だから、「憲法を一字一句いじってはいけない」という共産党や社民党の主張は大きく矛盾する。
 この矛盾について指摘されると、日本共産党は「国民の間に、まだ、天皇制度が不要だという認識が高まっていない。しかし、将来、国民の意識が高まって来るので、その時には、天皇制を廃止する」という、「国民の意識が低くてね」という上から目線の発言を、そうと意識せずに平気で話している。
 左派系の人が天皇制度を廃止しようというのは、天皇中心で2千数百年来た日本そのものを否定し、抜本から変えて、共産主義、社会主義国家にしようというスタンスなので、彼らの脳の構造からすれば、皇室廃止はわからなくもない。
 しかし、近年、普通は天皇制を支持し、もっと強固なものにしようと考えていると見られる右派系の人の間で、皇太子廃嫡の声が強くなっている。
 そして、もっと過激な人は「昭和天皇まではともかく、それ以降の今上天皇からの皇族を見ていると、今の状態なら、天皇制は不要だ。もし、存続させるなら、抜本的に改革しないといけない」という認識が広がっている。
 ネットなどのそうした書き込みへのアクセス数はどんどん増えていて、そうした声は日に日に強くなっているように筆者には感じられる。
 そして、それが単に感情的な廃止論ではなく、具体的な問題点などを克明に指摘しての批判なので、かなりの説得力があり、その説得力故に、廃止論は徐々に広がって来ていて、侮れない動きになって来ているように思える。
 なお、余分な事だが、世間では、保守、革新という言い方をするが、筆者はこの言葉を使わない。
 何故なら、この言葉には、保守は古い伝統を守って、物事の改革をしようとしない人達、逆に革新というのは、新しい動きに対応して、世の中を変えようという、現実とは真逆の響きが入っているからだ。
 今の日本ではいわゆる革新系の人達は、「憲法を一字一句変えさせない」という事に代表されるように、旧守派そのもので、時代に合わせて、考えや法律を変えて行こうなどという考えはほとんどない。古い、カビの生えたような思想、理論を後生大事に守っているのが革新系である。
 逆に、ピッチは遅いが、時代に合わせて、日本を何とか変えようとしているのが保守の人達である。
 だから、保守、革新は実態に合っていないので、使わない。やむを得ず、響きに少し違和感があるかも知れないが、右派、左派で書く事にする。

(きっかけは雅子妃の長期公務欠席。輪をかけた眞子様の婚約延期)
 右派系の人の間で、大分以前から、昭和天皇はともかく、平成天皇、つまり、今上天皇以降、日本の天皇制度はおかしくなったという声はあった。
 ただ、それはそれ程大きな声ではなく、一部の人達の間に広留まっていた。
 それがかなり広く論じられるようになったきっかけは、皇太子妃の長期間に及ぶ公務欠席である。
 慣れない宮中という所に入って、戸惑い、病気になったりする事はある。現に、美智子皇后が今上天皇と結婚した時、やはり病気になって、一時、公務に出られなかった事がある。
 しかし、美智子妃は短期間で復帰し、その後、長く公務を務めている。一方の雅子妃が公務をほとんどしなくなって20年程が経つ。
 生活習慣も、昼過ぎまで寝ていて、それから起きて行動し、夜食は深夜に食べるというのだ。その結果、長い間、朝食は愛子様と皇太子が雅子妃抜きでしていたが、次第に愛子様もそのペースに染まり、昼に起きるので、学校の午前中の授業に出られず、欠席が多いという。
 雅子妃は公務はほとんどしない一方で、個人的な活動では、家族で外遊したり、公務以外で家族旅行したり、実家に帰ったりしている。
 自分の子供、愛子様が学習院に通う際には、毎日のように付き添い、本来なら、教室で同級生と一緒に取らないといけない昼の給食を、貴賓室など別の部屋で雅子妃と2人でとっているというような話などが、その時々に伝わって来る。
 更に、数年前の「雅子妃への人格攻撃批判」とも言える談話を皇太子が発表して衝撃を与えた。
 仕事をせずに、さぼっている妻を叱るどころか、それを弁護し、批判者を攻撃する皇太子の姿勢が奇異に映り、国民の税金で生活し、国民のためを思って行動しないといけないはずの皇族としての態度としては、違うのではないかという声が上がり出した。
 特に年配女性達から、「雅子妃は妻として、嫁として母として、すべきことはしていない。国民が尊敬の対象とする皇室の一員として、何を考えているのだ。皇太子妃失格だ。今のままなら離婚すべき」というような厳しい声が上がり出した。
「半年、1年の病気ならわかる。それなら、国民は同情し支援もする。しかし、20年間、ほとんど公務をしていないという事は病気ではなく、さぼり、怠慢だ。万一、病気だとしたら、公務が出来ない自分を恥じて、離婚を申し出るのが筋だ」
 筆者の周囲でも、年配の女性の批判は厳しい。
 雅子妃の長期公務欠席で噴出した皇室批判を加速させたのが、秋篠宮の眞子様の婚約延期騒動である。
 一般家庭だとしても、親が猛反対をするであろう、フリターまがいの人を結婚対象に選んだは良いが、後から後から、相手とその家族についての悪い噂が出て来て、あまりにも相手がお粗末である事がわかり、親の秋篠宮夫妻もどうしようもなくなって、婚約延期になったのだ。
 普通、皇族でなくても、政治家や経営者、高級官僚など、ある程度、格式のある家なら、娘が年ごろになって、異性と付き合い出したら、相手の身元調査はするのは当然だし、相手を選ぶ心得なども普段から指導している。
 それを皇族たる者が、人を見る目もなく、親も人の見方を教えておらず、宮内庁も調査すらしていなかったという事に国民が驚き、それが皇室全体に対する厳しい目となって来ているのである。
 こうした批判が始まり、火の手が大きくなって来ると、それまでほんの一部の人の間で囁かれていた事が公言されるようになり、その他の問題点が合わせて言われるようになって来た。

(東大に編入するも、授業について行けずに中退の雅子妃)
 まず、雅子妃についてだが、彼女が皇太子と婚約した時、東大、ハーバート出で、外務省のエリート・キャリアウーマン、頭脳明晰でバリバリの仕事が出来る女性であると報道されたが、それが全くの嘘であるという事があぶり出されて来た。
 以下はネットでそうした事に詳しい人の説明や週刊紙情報なので、真実かどうかは調べようがない。
 しかし、内容が具体的で詳細な上、いくつかの週刊誌がその話を裏打ちするような、それぞれの当時の関係者の話を載せているので、かなり説得力があり、核心をついているように感じられる。
 それによると、雅子妃の実際の学歴は、東京で有名私立に中学に入ろうとしたが、学力が足りずに試験に落ち、3回と受けて、やっと途中編入した。しかし、高校生になって大学受験という事になった時、成績が悪く、とても上位大学に進学は出来る状態ではなかった。
 さあ、どうしようという時に、外務省官僚だった父親がアメリカ勤務になった。
 そこで、妹たちは日本に置いたまま、父親と一緒にアメリカに行き、ハーバート大学の姉妹校のような大学に入った。海外の大学は入る時は日本よりも易しく、入ってから出来ない人は振り落として行くという発想なので、入りやすい。加えて、父親が外交官特権を持つ身分なので、特別待遇で、その大学に入れたというのだ。
 そして、数年後、日本に帰って来て、アメリカの有名大学の学生という事で、東大に編入している。
 東大は最初から入試で入るのは大変だが、編入は比較的簡単だというのは、受験界の常識で、レベルの低い地方国立大学からの東大編入が、どうしても東大に入りたい人の抜け道として良く知られている。その手を使ったのである。
 加えて、東大編入時の試験は英語のみだったので、数年、アメリカで過ごした雅子には難しくなく、試験に受かって、見事、東大生になった。
 しかし、東大に入ったは良いが、本人のレベルが低すぎて、授業についていけず、ほとんど単位が取れない。そこで、東大を中退して、外務省に入ったというのだ。
 当時は、父親が幹部なら、特別枠で入省できるという制度があり、これで外務省に入ったのである。今のように、極めて難しい上級公務員試験に合格しないと、中央官庁の上級職にはなれないというのとは、大分、事情が違っていたのである。
 外務省に入った後の雅子妃の仕事は、本人のレベルが低すぎて、まともな仕事は任せられず、コピー取りや翻訳、電話番などという、誰でも出来る仕事しかさせられなかったという。
 そして、外務省から今度はイギリスの大学院に留学した。これも父親のプッシュなのだろう。
 雅子妃の頭が悪くて、授業についていけない事はほぼ確実なので、父親は外務省の官僚をバックアップ係につけて、論文を書かせたという。週刊誌などに、代書したという官僚の話まで紹介されている。
 だが、海外の試験には口頭試問がある。ペーパーは代書してもらえても、口頭試問に代役は出せない。
 結果、一緒に同じ大学に留学した外務省の人間、3人程がきちんと修士の資格を得て帰国しているのに、彼女だけ修士の資格をもらえずに帰国している。
 外務省時代の彼女は妻がいる複数の上司と不倫をしていたという噂がある。
 外務省時代だけでなく、アメリカ留学時にも、アメリカ人男性と同棲していたという噂があり、地元の新聞が、皇太子との婚約話が出来た時に、同棲していた男性の話を掲載している。この新聞はきちんとした地元紙で、アメリカでは雅子妃の同棲問題は良く知られている。
 皇太子との婚約がなった時、筆者は当時、一緒に仕事をしていたアメリカ人男性から、「アメリカ人と同棲していたという女性が皇太子妃になれるのか。そんな女との結婚を認めるとは、日本の皇室も落ちがものだ」と言われた事を今でもはっきり覚えている。
 
(着てはいけない服を着る雅子妃。貯蔵貴重品がネットオークションに)
 彼女はそれでも、結婚当初、積極的に楽しそうに公務をしていた。
 だが、彼女の行動は皇室の常識を外しまくったもので、海外の王族達からは厳しい批判が出された。
 筆者も少し前まで詳しく知らなかったが、世界の王族同士が交流したり、相手の国を訪問したりする時には、色々な決まりがある。
 その1つに、欧州などの王族が他の国を訪問する時、特に女性の服装は事前にいつ、どんな色の、どんな服を着るという連絡があるという。これは他の女性と服がかち合わないようにするためである。更に、国によっては、決まりきった色がある。
 エリザベス女王はロイヤルブルーと言って、濃い青い色の服を着るので知られているので、女王が出席する会合では、他の国の王族の女性は、この色の服は着ないのが常識となっている。
 同様に、オランダの女王、王女は国の色であるオレンジ色の服を着るので、彼女が出る場所では、他の国の人はこの色の服は着ないという暗黙の了解がある。
 だが、雅子妃はこのルールを犯しまくったのである。エリザベス女王が出席した会合でロイヤルブルーの服を着ているし、オランダの王女が来日した時、全く同じのオレンジ色の服を着て、出迎えた。その証拠写真はネットに掲載されている。
 知らなくて着たのではない。女官からそれを教えられても、聞こうとしないのだという。「何故、そんなルールを守らないといけないの」という感じだという。
 また、今でもそうだが、雅子妃は外出する時、原色の服を好んで着る。
 日本の皇族は基本、原色の服は着ないのにである。ある時には、愛子様と一緒に朝鮮服のデザインの服を着て、公式の場に出て来て、周囲を驚かせた。
 偶然の一致かどうかわからないが、雅子妃が嫁いだ後、ネットオークションで、皇居に貯蔵されている歴代の天皇、皇族の服や記念品、刀などが多数売りに出された。膨大な数で、ネット上では今でも、その売りに出された品物の一覧がアップされている。
 そして、ある金属品にそれを扱っている人の顔が写っているのがわかる。
 金属に写っているので、明確に顔はわからないが、雅子妃またはその姉妹と言われても、そうかなと思える輪郭の人の顔が写っているのだ。
 何でそんな事をするのかという疑問に、何人かの人がネット上や雑誌で理由を述べている。
 それは父親の小和田氏が財テクに失敗して大きな借金を抱えたので、そのための盗品というのだ。
 これは明確な根拠がある訳ではないので、そうかなという程度の話だが、皇室の倉などの保存されている貴重な品が大量に売りに出されたというのは異常である。
 数年前の事で、ある週刊誌がこれを取り上げたが、一般マスコミはほとんど報道していないし、してもほんの小さな扱いだったので、今では話題にも上らない。
 また、数年前、雅子妃の英語がひどいものだという話が英語雑誌に掲載された。
 それは、来日したアメリカのミュージシャンの公演に皇太子夫妻が来たという。そして、帰ろうとするその音楽家に雅子妃が声をかけて、サインを求めたという。
 その時のやり取りをその音楽家が雑誌の取材で答えているが、彼女はそれぞれがどういう言葉を使ったかと話している。そして、その女性音楽家は「意味は通じるけど、こんな英語、きちんとした教育を受けた人なら使わないわよ。日本の皇太子妃は使うの?」と言っている。
 具体的なやりとりをその雑誌は書いているが、筆者が見ても、本当にひどい英語である。人のものを頼む時の表現ではないし、日本語英語で喋っていて、英語が少し出来る人ならまず使う事はない英語を使っているのだ。 
「雅子妃は海外留学が長いので、英語の達人」という話は嘘である事がそれでわかる内容である。
 その理由を別の人が解説している。
 それは、彼女の入った大学はレベルが高くなく、いる学生も途上国の子弟が多く入っているという所で、そこで身に着けた彼女の英語は、外国人がどうにか意思を疎通させようと使う英語で、中級以上のアメリカ人が話す英語とはかけ離れたものだったというのである。
 超スーパーウーマンというメッキが剥げて来るとともに、その女性を必死に守ろうとする皇太子について、この人なあにという声が高くなり、初めは、雅子妃に自ら離婚すべきという声だったのが、今では皇太子に天皇を継がずに廃嫡すべき、させるべきという声になって来ている。

(美智子妃が聖心女子大首席というのも、キリスト教徒でないというのも真っ赤な嘘)
 そして、批判の矛先が、雅子妃から皇后の美智子妃に向かい始めた。
 雅子妃と同様に、美智子妃が今の天皇が皇太子時代に婚約、結婚した時は、大企業、日清製粉の社長令嬢で、華族出身ではないが、深層の令嬢で、聖心女子大を首席で卒業した才媛で美人という事がマスコミに報じられた。
 それが今、多くの話が嘘だとわかって来た上に、嫁いでからの美智子妃の問題行動が最近になって分かって来て、厳しい美智子妃批判が起きて来ているのだ。
 まず、当時報道された聖心女子大を首席で卒業という話は嘘だった。
 彼女の成績書がネット上などにアップされていて見る事が出来るが、Aは多いものの、Bも26あり、Cもあるというもので、それを見れば、並みも成績だという事がわかる。
 一定以上の大学で首席を取ろうとするなら、Bが数個が限界である。Cがあったら、まず無理である。筆者は前にも書いたが、数年前までの13年間程、新卒採用を担当したので、大学生の成績表は嫌という程見ている。
 関東の早慶、関西の同志社、関学、いや、関東の立教、青山でも、その学部で首席または、2、3番を争っているという学生なら、ほとんどがAで、Bは数個までである。
 古い時代でも同様だ。筆者自身、大学を首席で卒業したが、今のABCで言えば、Bが1つでCはゼロ、後は全部Aだった。首席とはこうした点でないと取れないのだ。
 また、美智子妃は家族ぐるみの熱心なクリスチャンで、今でも頻繁に教会や礼拝堂に通っている。
 だが、結婚の時、日本神道の中心となる天皇家に嫁ぐのに、キリスト教徒ではおかしいという質問が記者から出た時、彼女は「自分はキリスト教徒ではない。洗礼を受けていない」と明言している。嘘をついたのである。
 美智子妃と時の皇太子、今の天皇の結婚が決まった時、初めての平民からの皇太子妃誕生という事でマスコミは大騒ぎをした。それまで、皇族の結婚相手は旧公家や大名の子孫など華族との結婚に限られていて、明治以降で、華族でない人が皇太子妃になる事は初めてだったのである。
 だから、結婚が決まった時に、旧皇族、華族から猛烈な反対が起きた。
 今と違って、国会が正常に機能していたので、皇太子の婚約について、議員がこの結婚で良いのかという質問を長々としているし、当時の宮内庁長官が懇切丁寧に答えている記録が残っていて、これもネットにアップされているので見る事が出来る。
 国会での質問で、ある議員が「美智子さんは見合いを20数回し、民間人で婚約者もいたという話だが、この人を皇太子妃にして良いのか」と質問している。
 でも、この話は当時、マスコミは報道しなかった。
 筆者は小学生から新聞を結構丹念に読んでていて、自分が小学校高学年以降の出来事で、話題になった事については、マスコミがどう報じたかは、かなり覚えているが、この事は新聞には載らなかった。
 そして、それは事実だった。
 というのは、皇太子に求婚された時、美智子さんが結婚を約束した相手、つまり、婚約者に相談に行っている。その婚約者は外国に勤務していて、美智子さんは会いに海外に行ったのだ。そして、それを嗅ぎつけた、ある新聞記者が美智子さんの後を追いかけている。
 美智子さんの婚約者は外務省に勤務していて、皇太子との結婚という話なら、婚約を解消させないといけない、そのためなら、2人を合わせてはいけないという事を考えた上司が、美智子さんが行く前に、婚約者を何回も出張させたので、美智子さんは結局、婚約者に会えずに帰国している。
 海外出国が厳しく規制されていた時代で、外務省は日本人の海外渡航は容易に把握できた時代である。
 美智子さんの後を追いかけた記者は、その話を記事に書いている。婚約者ではなく、付き合っていた人に会いに行ったが会えなかったという話をだ。
 そして、彼は「皇太子が美智子さんに振られたなら大特ダネだが、そうではなかったので、特ダネを取り損ねた」と小さな記事で書いているのを筆者は読んだ。
 当時の新聞は今と違って、字にルビが振ってあったので、小学生でも読めたのである。
 美智子妃の結婚が決まった時、後年、日清製粉の社長になる彼女の兄は婚約していたが、その婚約者の女性は、「皇太子妃と義理の姉妹になるのは恐れ多い」として、婚約を辞退している。社長令嬢と言えども、皇太子妃となるのは、それくらいの衝撃だったのである。
 美智子さんが皇太子のと結婚した時の報道を筆者が思い出し、当時の新聞、雑誌を改めて見ると、雅子妃の婚約報道と全く同じである。超スパーウーマンで理想の女性というトーンで統一した報道である。
 美智子さんが結婚した時の記事はよく覚えている。
 そして、その時は気が付かなかったが、今になって思うと、美智子妃の時にした演出と同じ事を雅子妃の時もしたのであり、マスコミは発表された嘘を(調べれば直ぐに嘘とわかる話を)、吟味、調査もせずに、そのまま国民に流し、ほとんどの国民が騙されたのである。

(GHQ、アメリカの思惑で決まった美智子妃の婚約)
 美智子さんが皇太子と結婚したには大きな裏があった。当時はわからなかったが、今分析してみると、大きな意図が働いていたのである。
 婚約が昭和33年(1958年)、結婚は翌年の昭和34年だった。その少し前、昭和25年と27年に皇太子(今の天皇)の2人の姉が結婚している。いずれも高度成長が始まる前の事で、GHQが支配していたり、日本を去った後でも、その影響が強く残っていた時代である。
 戦争が終わって、貧しさと混乱の日本で、皇族をどうするかは大きな問題だった。それまで現人神と言われた人がある日、人間宣言をしたので、国民もどう天皇や皇族と付き合うか、疑心暗鬼の時代だった。
 今上天皇の2人の姉は、1人は旧公家の鷹司家、もう1人は旧岡山藩主の当主の家の跡継ぎと結婚している。そういう意味では、華族との結婚だが、結婚で、民間に降下するという事が大きく報じられた。
 戦後の貧しさの中で、自分が生きる事が精一杯だった人達が、昭和25年から30年の朝鮮戦争で、少し息をつぎ、余裕が出て来た時頃に、天皇の娘が民間に降下して、民間の人になるという話にマスコミは飛びついた。
 2人の結婚を機に、新聞や女性雑誌などが2人の結婚を大きく取り上げられ、普通の家庭の主婦になりますという宣伝で、畳を箒で履く姿を天皇の娘の写真にとらせ、それが新聞、雑誌に大きく掲載された。
 そして、皇室報道が散々盛り上がった後に、皇太子のご成婚になるのであり、ミッチーブームが到来し、日本は空前の結婚ブーム、テレビの一般家庭への普及が進んで行くのである。
 アメリカは戦争に勝って、日本を占領した。
 ソ連を初め多くの連合国から、日本の天皇を裁判にかけて、処刑しろという要求があったが、GHQの責任者マッカーサーはこれを拒否した。
 最後の戦いで、圧倒的に不利な中で日本軍は頑強に抵抗し、アメリカ軍は手を焼いたが、それが天皇の終戦の詔で、軍隊は一斉に武装蜂起をした。これを見て、天皇を処刑したら、日本人は全力で歯向かって来る恐れがあると感じたのだ。
 そこでマッカーサーがしたのは、天皇制度は維持しつつ、日本も皇室も内部から、二度とアメリカに逆らえないようにする仕組みを作ったのである。
 法律的には憲法で、戦争放棄を明記した。
 これは日本を永久占領し、アメリカ軍が永久に駐在するという宣言である。
 憲法9条が日本を70年も戦争から守ったと左派の人は言うが、真っ赤な嘘だ。彼らはそれが嘘と知りつつ、平気で嘘を言っているだけなのだ。
 日本共産党はコミンテルン日本支部として発足した。
 日本をアメリカと戦わせ、混乱の廃墟の中で、日本の支配階級が滅んだ時、ソ連の援助で日本で共産革命をする。これが日本共産党にソ連から与えられた使命であり、彼らはそれを忠実に実行しているだけにしか過ぎない。彼らにとって、日本の弱体化は自分達の使命が進んでいる事なのである。
 GHQは憲法制定だけでなく、日本の強さの源泉だった家族制度を崩壊させ、地域の集落を破壊させ、その中心的な役割だった神社をどんどん潰して行った。
 そして、日本人の強さの中心である神道のそのまた中心である天皇を変えて行こう考えた。
 そこで実行したのが、終戦時、皇太子だった今上天皇にアメリカ人、家庭教師、バイニング夫人をつけて、戦前、戦中といかに日本がひどい事をしたかという、GHQ史観を今の天皇に叩き込んで行った。
 更に宮内庁長官や宮中の実質的な責任者に、日本人だが、キリスト教徒である人を当てた。
 宇佐美宮内庁長官、慶應大学の今で言う学長を務め、後に皇室の最高顧問のような職についた小泉信三氏たちである。彼らは一高、東大出のエリートだが、信条的に天皇制度はノーという人達である。
 そして、皇太子の結婚相手選びは、この小泉信三、宇佐美長官達が取り仕切って行ったのである。
 今上天皇と美智子妃の軽井沢でのテニスの出会いも勿論、演出したもので、美智子さんを皇太子妃にする前提ですべての事が進んで行った。
 神道の中心にいる天皇の将来なる皇太子にキリスト教徒の女性を結婚させる。だから、宮中の幹部から皇太子妃候補の話をいくら挙げても、小泉信三も宇佐美長官も一切取り合わなかったのである。
 美智子さんと皇太子の婚約の情報は、日本ではなく、海外の雑誌で最初に報道された。
 最初は婚約ではなく、プリンスの恋という感じの報道だったが、当時、日本の首相、皇室の関係者が誰も知らなかったという話が伝わっているように、秘密裏に行動されたのである。
 海外の報道を受けて、それを追いかけるように日本の新聞社が追いかけ、次第に規定事実になって行く。初めの内は、マスコミの報道を嘘と受け止めていた宮中の宇佐美、小泉以外の幹部は、婚約が正式に決まった時、猛反対をした。しかし、時は既に遅かったのである。

(昭和天皇崩御後、実権を持って行動し出した美智子妃)
 ミッチーブームは敗戦によって、かなりの日本人が皇室とは何かと疑問を持ち出していた中で、皇室に対する国民の人気、支持を取り付ける役割を果たしたのは事実である。
 戦前の日本では、天皇は畏敬の念の対象で、親しみの対象ではなかった。
 それが美智子妃の誕生で、尊敬とともに、親しみの対象というのに変わった。今日の天皇、皇后像が出来あがった。そうした意味で、プラスの部分もあった。
 しかし、GHQが仕掛けた仕組みは、長い年月かけて次第に機能しだして来た。
 美智子妃は昭和天皇が生きている間はおとなしくしていた。だが、昭和天皇が崩御し、自分が皇后になって、皇室内の実験を持つと、次第に自分の考えで行動し始めた。
 日本の皇后は天皇がスピーチをしている間、両手を体の横に添え、うつむいた姿勢をとらないといけない。だが、昭和天皇の崩御ととともに、美智子妃はこれを止めた。自分は天皇に従う人間ではないという宣言である。また、皇室内で自分の気に入らない女官をどんどん解雇していった。
 自分の意のままに動くスタッフに自分に関するマスコミ情報を徹底して集め、自分に批判的な情報が出ると、これを打ち消すために、プラスになるような話題を作って、親しいマスコミに流し、素晴しい皇后、美智子妃を徹底して演出して行った。
 絵本を翻訳した。子供と会話をしたなど、マスコミが好きそうな話を提供し続けたのである。今のマスコミは何が情報があると、それが嘘か本当か、裏の意図は何かなど考えもしない。だから、マスコミを通して、素晴しいイメージがどんどん定着して行った。
 雅子妃は単に頭の悪い怠け者だが、美智子妃は頭は良いが、腹黒い人。これが長年、皇室をウオッチして来た人の印象である。嫌、彼女もキリスト教徒で、戦前、戦中と日本が悪い事をしたというGHQ史観をただ単に信じて、その線で行動しているだけかもしれない。
 それはともかく、美智子皇后は次第に、宮中での独裁権限を確立して行った。
 そして、自分達の新居を作る時、神道の中心である天皇の住いに日本式ではなく、洋館の家を建てた。自分の服はローマ法王の法衣を模した服中心にした。
 バイニング夫人の教育で、それでなくてもGHQ史観の影響を受けている天皇を突き上げ、「昭和天皇の間違いで、日本は周辺諸国に大きな被害、迷惑をかけた。この謝罪の行為、旅をしないといけない」という考えで行動するようになった。
 ガンになって、身も心もボロボロの天皇を休ませるのではなく、過密な日程を入れて、行動させている。これは一日も早く自分の息子の皇太子に跡を継がせるためでもある。それでも、天皇が頑張ているので、退位という事を進言し、実現させたのである。
 首相も宮内庁の幹部も知らない内に、テレビで談話を出すという手法で、実行し、首相周辺が気が付いた時には、もう止められない状態だった。
 男女同権という考えとともに、自分の孫に天皇を継がせたいという思いから、女性宮家を進める動きをしているし、共産党系の憲法「九条を守る会」とも積極的に連絡を取り合っている。
 天皇を退位して上皇になった後は、中国や韓国に謝罪に行きたいと言っていて、安倍首相を困らせているという事である。韓国が李明博大統領の時、大統領に訪韓したいという手紙を書き、その中で謝罪の言葉を書いている。内閣に全く相談なくての行為であり、何が何でも実行する構えである。
 ネットでの美智子妃批判の話の中には、3人の子供内、自分の子供は今の皇太子だけで、他の2人は自分の子ではないという話もある。そして、唯一の自分の子供である皇太子も天皇の子供ではなく、托卵だという話まである。
 こういう話は真偽の程を確かめようがないので、そうした話があるくらいに留めるが、皇太子の本当の父親とネットで書かれている人と皇太子の写真を並べると、確かに非常に似ていて、妙な説得力がある。

(韓国へ謝罪旅行に行ったら、皇室不要論が一気に高まる)
 それはともかく、最近の研究で、明治維新の時、西郷、大久保、木戸、岩倉など討幕を主張する勢力に、公武合体を主張する父親の孝明天皇とともに、明治天皇になるべき人は抹殺され、天皇は人が入れ替わったという話がかなりの信ぴょう性を帯びて来ている。
 明治天皇になる前の睦仁親王は右利きで、体はきゃしゃで小柄で、つるっとした顔をしていて、馬術は大嫌い、字はへたくそだった。それが、明治天皇は睦仁親王の特徴とは真逆で、体格のがっしりした長身で、顔はあばた顔、左利きで、馬術が大の得意で、相撲取りと相撲をとっても、負かすくらいの腕力を持ち、達筆だったという事がわかっている。
 この明治天皇入れ替え説はまた別途書くが、明治維新の時、それまで来ていた北朝から南朝に切り替わり、その真実を知っている多くの人を、時の政権担当者が放置できないと考えて仕掛けたのが、西南戦争であり、佐賀の乱であり、それ以外にも多くの人が殺されたという話がある。
 そして、この南朝への切り替えが明治維新の根幹の部分で、これを中心になって実行した岩倉具視や伊藤博文が大きな力を持ち、日本が大きく変質して行った。長く続いて来た平和で戦争や争いを避ける日本人の行動が変わり、戦争への世紀へと変わって行くというのだ。
 明治維新の話は置くとして、今、我々は皇室をどうすべきかという事を真剣に考えないといけないようになっているように筆者は考える。
 筆者自身は天皇制否定論者ではない。
 だが、最近の皇室を巡る色々な話を聞く度に、きちんと事実を確認して、今後、天皇制を維持していくとするなら、どうあるべきかという事を徹底して議論して、結論を出さないといけないと思う。
 筆者の周囲の年配の人達の間でも、雅子妃や眞子様の件などをきっかけに、皇室に対して非常に厳しい目で見る人が急激に増えている。これは筆者に周辺だけではないと思う。
 右派の人の中には、迷信的に皇室を信奉する人も結構いる。
 だが、若い人の間では、皇室無用論の人は多いと言われる。右派の人の中で「こんな皇室ならもう要らない」という人が増えて来ているという事を皇室関係者は知らないといけない。
 まして、美智子皇后主導で、天皇を退位した後の上皇がもし、夫妻で韓国や中国を訪問し、謝罪でもしたら、最近の韓国の理不尽な言動で嫌韓の日本人が増えているだけに、多くの日本人が皇室を不要と考えるようになるだろうという事位は気が付かないといけない。
 腹黒いとまで言われるくらい頭が回る美智子妃なら、それくらいの事はわからないはずがないと思うのだが。





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Last updated  2018.04.15 17:20:36
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