虚構、規制、文法、能力
せんだって、中国のデスノート玩具禁止令に絡んで、マンガ読みって、わりと高度な読み手であることを要求されるってことをちょいと書いたんだけど。 んでまあ、そもそもの記事からして、あとで「中国のデスノ文具摘発はガセかも」といわれてたりして、それはそれで釣られたのかもしれないけど、まあ興味深い情報ではあります。 以前、妻が美術館に行って絵巻物を見てきたんス。 妻が言うには「よくわからなくなった」らしい。これは、絵巻物の観方と展示の方法がズレてるからなんだけど。 つまり、絵巻物を全部広げて掲示してたんだそうです。 えーと例えば合戦物なんかだと、巻き物の中に同じ人物が何度も出てくるわけ。 絵巻物はスクロールっていうくらいで、本来の観方は、一度に全部開くものではなく、左から送って右で巻き取りながら半間くらい(90センチほど)の幅で見ていく。 長~い一枚画ではなく、連続したシーンを順繰りに見ていくものなんですね。フランス語で言えばバンドデシネ。ちょっと違うけど。 だから、一枚の紙の中に同じ人物が出てくるけど、それはシーンが違うのね。 コマ割りの無い漫画みたいなものなんです。 一枚の長~い絵巻物の中で、同じ武将があっちで切りつけ、こっちで鍔迫り合い、そっちでは馬に乗って走ってる。 たしかにちょっと分かりにくいよね。 でも、巻き取りながら順繰りに観ていけば、時間軸を持った物語として読める。巻き取り行為が、漫画のコマ割りの役を果たしているという。 これって能力の問題ではなくて「文法」の話でさ。 漫画をうまく読めない人っていてね。オレの義理の妹とかもそうらしいんだけど。 同じ紙の上に、「絵」「書き文字」「フキダシ」があって、読む順番や優先度がわからないんだそうです。 見開きの紙面を一枚の絵として見てしまうから、時間の流れとかを読み取れないんだそうです。コマ運びのテンポもへったくれもない。 これは能力の有無ではなく、単に漫画を読む「文法」を持ってないだけなんだよね。 妻も、絵巻物を読む文法を持ってなかったから、びろーんと広げられた絵巻物をそのまま見て、よくわかんなくなったんだよね。 で、なんかさ、凶悪事件があるとすぐに「漫画やゲームの影響があったにちがいない」っていう人がいるじゃん。 神奈川県庁なんか、完全にカンチガイと誤解で、ゲームを「犯人」にしてしまったわけで。この措置の原因とされた事件の犯人少年は、このことで救われてはいないわけで。なにしろカンチガイだから、県庁は社会にとって益の無いことをしているわけで。 こういう笑えない事態が起こってしまうのは、「文法」の不備があるんじゃないかと思うわけです。 普通の子供は、いや人間は、作り話を作り話として楽しんでおり、そこに描かれている暴力やエロスやナンセンスに一線を引いて見てて、客観視しているからこそ楽しむことができるんでね。 いや、誰だってそうなんだろうよ。 小説や映画なんかがあまり禁止禁止と騒がれないのは、バカな人でも文法を知ってるからでしょ。 映画や小説は距離をおいて付き合えるカタチなんだけど、漫画やゲームは読み方を知らないから、よくわからない。だから、むやみに怖れる。 人は、小説を読む時には「小説文法」を持って、ゲームをするときは「ゲーム文法」に切り替えて、上手に虚構を楽しんでいる。 みんな、ちゃんとできている。 無意識に出来ているから気にしてないけど、それって誰もがやってる作業だ。県知事とか、UHF局の編成の中の人とか、「子供のために!」っていう保守の老人とかね。 だから、すぐに「禁止」「規制」「放送自粛」ってなっちゃう人には、ある能力が欠如しているのではないかと思ってしまう。 虚構を楽しんでいるうちに「文法」を獲得していく力が自分を含めた皆さんに備わっていることを、意識することができないのだろう。 「人って、そういうもんじゃん」っていう常識が、「禁止」「規制」「放送自粛」の人には備わってない。 人間に対する洞察力とか共感能力を持ってない人が、行政やマスメディアの編成や圧力団体をドライブする立場にいる。 なんだか悲しい事実ですが。 無益な偏見が広められている愚かしさについては、また次回。