May The 漫才 be with you.
せんだって見たネットニュースのヒマネタで「漫才」と「コント」の違い、言えますか?ってのがあった。 そこでのおおまかなまとめはコントとの大きな違いは、「扮装をしない」「芝居の化粧をしない」であり、「軽口を叩き合う」構成だそうだ。となっている。 んで、定義どうこうよりも、面白いかどうか、筆者の頭が硬かった、反省反省と、無難に落としている。 そうかぁ? いやいやネットニュースっつー立場上そうなるだろうけど、漫才とコントって決定的に違うじゃない。 扮装・化粧・軽口。 見た目の違いはそうなんだろうけど、むしろそこに決定的な違いがある。 コントは、芝居テイストなだけあって、「設定」がある。 「タクシーの客と運転手」とか「銀行強盗」とか「レストランの客とウエイター」とか。 その、状況とキャラクターの設定を、客と演者が共有して、その上に乗っかって「面白いこと」をやるわけだ。演者と観客の間に、設定のエクスキューズがある。 漫才には「設定」がない。コンビのふたりが、そのふたりのまま、面白い話をするのだ。「こんな人がいた」って感じで他者を演じることもあるが、その場合でも元々の人間であることは捨てない。演技で越えない一線がある。 笑かしのステージで「設定」を入れると、若い客は笑いやすくなる。笑う気持ちになりやすくなる。慣れの問題ね。スケバンが怒鳴るだけで笑うでしょ。面白いことを言ってるんではなくて、単に笑える様子をしている人が、笑うタイミングで大きな声を出す(「いま面白いことを言いました!」)と、客は笑う。笑ったことで、これは面白いことだと思う。 ネタも作りやすい。「もしもタクシーの客が○○だったら」って、考えのスタートとしてラクチンなんである。 コントはたやすい。 暗黒面のフォースと同様、たやすいのである。 もちろん面白いコントもある。モンティパイソンのエリザベス一世など最高だ。 漫才は、難しいのである。難しいからこそピークは高いのだが、なかなかそこまで稽古を積める状況でもないだろうし、才能も必要だ。 面白ければコントと漫才を区別する必要がない、という訳知り顔はいかがなものか。 ステージの上なんていう不利な状況から投げる話術だけで客を爆笑させるのは至難の業だ。 業なのだ。 漫才とコントを一緒にするなんてのは、失礼なことなのだ。 といった事情を踏まえて考えれば、昨年末のM-1グランプリで「漫才」をしていたのはチュートリアルだけであり、彼らが優勝したのは、M-1のMが漫才のMである限り(麒麟でさえコントをしていた)、当然のことである。