18年ぶりの再会(続き)
当時彼は日野市の選挙を手伝っていて、僕は彼に会いに中央線の豊田駅まで出向きました。そのとき香川県の参議院選挙と、香川県知事選挙のことを聞いたのです。あまりにも唐突な話でした。18年ぶりに出会った彼が、つい昨日分かれたように、熱っぽく参議院選挙を語るのを聞いて、僕は半ば呆然としていました。話は少しそれますが、僕は、「希望」の選挙以来、いわゆる無党派市民派の選挙を数多く戦ってきました。その中で得た教訓は、市民派の選挙の致命的な弱点は、票読みができない、いやしないことにあるということでした。既成の政党はきちんと票読みをし、必要な票数を確保することを一番にします。それをどんな方法でやるかはそれぞれに違いますが、票読みをしない選挙はありえません。公明党などは、地域割りでなく人割という折伏の系統別の票割をするそうです。以前郵便局の人に聞きましたが、共産党や社会党などは、複数の候補を立てるときは、選挙はがきの配達ははっきりと地域で分かれるそうですが、公明党はばらばらだそうです。それでいて候補の名前がダブらない。それだけきっちりと分けるそうです。市民派はそうは行きません。同じ候補者の名前が同じ人に何枚も届いたりして支持者の方からお叱りを受けることもしょっちゅうです。もうだいぶ前になりますが、僕の知り合いが市議会議員の選挙に出て、9票差で落ちました。直前の応援の集会に300人以上集まり、料理は持ち寄りで、歌あり太鼓ありの大盛り上がりでした。僕もそれに出たもので、これは大丈夫だろうと、ほかの選挙を応援しました。ところがまさかの落選です。後で周囲の人が9票差ぐらいだったら、自分も投票すればよかったとか、具体的に棄権した人を挙げてみても、10人どころではなかったそうで、がっかりしました。4年後には再チャレンジで当選しましたが、その町の市民派は4年間議員を失ってしまったわけです。こんなことが山ほどあります。如何に僕らの選挙が稚拙なものであるか、今に至っても多かれ少なかれ言える事です。選挙にはある意味で技術的なものがあって、理念や政策が優れたものであるからこそ、選挙の技術にも習熟しなければならないのだと思います。選挙はある意味で、既成の勢力の土俵の上で戦うもので、こちらの論理で対抗しようとしても無理があります。その意味で、電話を使った選挙戦術は、唯一と言っていいほど、こちらに有利に展開できるものです。詳しくは左のフリーページをご覧ください。議員をめざす A to Z です。話はそれましたが、小田々豊氏は日野市で、電話作戦を駆使した選挙戦を展開しようとしていました。それはうれしい驚きでしたが、ことは全県一区の参議院選挙区選挙です。僕は6年前、秋田県で、選挙区選挙を戦いました。当時、秋田県2区の民主党衆議院議員候補の若者と一緒に政治活動をしていた僕は、社民党・連合・民主党の三者が推す鈴木陽悦氏の選挙に、民主党から派遣されて事務局に入り戦いました。結果は自民党現職に競り勝ち議席を獲得しました。そこで学んだことは、選挙には文化とも言うべき、その土地土地の特色があること。そして、小選挙区などの一人を選ぶ選挙は、市議会選挙のようにたくさんの人を選ぶ選挙とは違うということでした。市議会選挙をプラスの選挙というならば、一人を選ぶのはさしずめマイナスの選挙でしょう。かたや、特色があれば、それだけで魅力です。市民派の存在意義も大方そこにあります。一人の場合は、候補者の中で、「よりまし」を選ぶのです。いくら良いところがあっても、大きく不安を抱かせるようでは難しいのです。またまた、話がそれましたが、小田々豊氏の場合はそこが難しいと考えました。相変わらずユニークで、エネルギッシュでした。だからそのとき聞きました。「民主党の推薦は得られそうなの?」彼は民主党の候補者ストックだと聞いたからです。彼はむっとしたようでした。「問い合わせたけど、はっきり言わんのよ。それにそんなことは問題じゃないんだ。金がなくても選挙はやれるっちゅうことを証明するためにやるんじゃから」それはそれで意義はあるし立派なことだと思いましたが、勝ち目のない戦はしたくありませんでした。だから断りました。