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カテゴリ:私生活
先日近くの合浦公園(がっぽこうえん)に 花見に行った。 実は私は桜まつりなど、 何年も見に行ってなかった。 子供たちが小学校の頃は、同じ県内でも色々桜まつりに行ったけど、今はなんか面倒になってきてしまい、道路沿いの桜を見て結構満足していた。 夫と二人でデートなんていう気分は今は全くなし。 でも、夫は毎年一人で必ずこの近所の公園に行くのだ。 何が目的かと言えば、❝たこ焼き❞だ。 なんたって、夫は「花より団子」の人だから、私は一緒に歩きたくないのだ。 私は桜を純粋に楽しみたい、そしていいショットの写真をたくさん撮りたい、ゆっくりのんびり過ごしたい。 夫はたださらっと見ればそのたこ焼き買ってさっさと帰るのがわかってるので、つまらないから一緒に歩きたくない。 それに、この近所の公園は海がある公園なので花見に行って風邪をひきそうでそれが怖くてずっと行ってなかった。 今まではコーラスをやってたので、5月、6月に大事なイベントを控えていたせいで、喉の調子ばかり気にしていたし、日に焼けるのも極端に気にしていた。 でも、皆さんのブログやテレビのニュースで全国各地の桜満開のニュースを見聞きするたびに、なんか、自分が損をして生きてるみたいな気がしてしまい、今年は見たくてしょうがなくなった。 そんなある日、小雨の降る中、いつものように夫の運転する車に乗って食事の買い物に行く途中、郵便局に用事があって、その帰りに2人の息子が卒業した中学校の前を久々に通った。 そしたら、なんと、学校の庭に何本もの桜が満開に咲いていた。 ❝ああ、そうだった、学校には桜が植えてあったのだった❞と今更気付いた。 都会では入学式に咲く桜が、青森では今頃やっと満開。 子供たちは平日で授業中だし、誰も歩いていなく、車中から淡いピンクを懐かしく眺めた。 ずっと昔、PTAの役員活動をしていた頃に何度も眺めたことがあっただろうに、不思議なものだ。 そんなことがあったせいで、次の日に急に行きたくなったのがこの公園だったというわけであった。 幸いお天気が良くて、風は強いが帽子をかぶってデジカメをポシェットに入れ、ジーパン履いて早歩きで行った。 行ってみたら、「おお~咲いている」って感じでウキウキ。 平日なので混んでなくて出店の人たちは暇そう。 わりと年配客が多くて、中には車椅子に乗ったお年寄りを押して一緒に桜見物に来てる人が結構いた。 不自由な体になってもそうやって桜まつりに連れて行ってもらえるお年寄りは幸せな方、連れて行ってあげる方は感心な方だなと思った。 私は物珍しく、出店の食べ物は目もくれず、飢えたように満開の桜を見まくった。 どんなに歩いて戻って、又歩いてを繰り返しても飽きることがなかった。 それは一人で歩いているからの自由さだと思った。 これがもしも誰かと一緒だったら、相手に気を使って会話したり、食べたり、休んだり、写真を撮り合ったりとなる。 決していいショットの写真は思うようには撮れないだろうと思う。 最後は自撮りで自分の顔まで撮って遊んだり・・ いろんな桜をいろんな角度で撮りながら、松の緑と白樺の白と一緒で何て美しいのだろうと改めて思った。 そして、その続きに海がつながっている。 何といっても海が久しぶりに見れた。 穏やかにきれいな青い色をしていた。 厳しい冬は終わって、青森はこれからが一番いい季節なのだ。 公園なので動物も多少はいて、猿や鳥類ばかりだが、今回は昨年産まれた孔雀の子供たちが大きくなって親と一緒にえさを食べてる姿がほほえましく感じたのでじっくり眺めてこれも写真を撮った。 この合浦公園は大きな池にたくさんの築山があって、その中に水鳥が浮かんでいてかわいらしかった。 そのうち、夏になるとここは睡蓮の花がたくさん咲く。 そして、藤棚に藤が咲いて、つつじとのコラボが美しくなる。 たくさん撮った写真をなんとかいい形にしたいと思い、動画を作ってYouTubeにアップした。 久々の動画作り、ちょっと忘れていて、ノート見ながらやっとだったけど。 満足した私は結局は家族のために鶏モモ肉の唐揚げをお土産に出店で買って家路に急いだのであった。 さて、野良猫対策の超音波センサーを玄関前の花壇に挿して早1週間になる。 最初の何日かは猫の足跡がついていたが、土の中には糞はなかった。 どうやら動物が嫌な微音が不快らしく、高価なだけに効果ありでよかった。 向かいの奥さんとは今のところ顔を合わせる機会がないが、例の野良猫二匹は姿がない。 果たして飼うことにしたのだろうか? でもまあ、その代わり、違う猫がこうして縄張りを広げようとしていたわけだから、センサーつけて本当に良かった。 今日テレビで、東北に猫島があって、村の皆で野良猫を世話しているところがあるという番組を見た。 なんでも、ネズミとかの駆除をしてくれるからと猫は神様ということで皆で大切にしているそうで、猫神社まであって、その神社には猫の置物がたくさん置いてあった。 村人たちは皆好きなように野良猫に餌をやって、猫もわんさかいてそれは田舎ののどかな光景だった。 しかし、こういうところの生活しか知らなくてこれが当たり前だと思っている人たちが狭い住宅街で暮らしたらどんなに非難を受けるかわからないのだ。 生活と感覚は密接なものだと思う。 ここの島の猫も人も幸せなのだな、ずっとここで暮らすのならば。。と思ったのだった。
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