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テーマ:アーカイブス(3053)
カテゴリ:アーカイブスシリーズ
個人の復権 ※大学のクラス機関紙「黎明108号」(1972年6月10日発行)より クラスボックスの机の上に一冊のノートが置いてある。題して落書き帳。落書き帳には誰でも好きなことを書ける。誰が書いた、彼が書いたとせんさくされることは無い。各人各人の悩み、苦しみ、喜びなど、自由に書ける。一つの意見が書かれると、それに対して賛否両論多くの人の考えが数日のうちに書かれる。落書き帳を見るのは楽しみである。毎日顔を合わせているのに、なぜ口に出して話せないのだろうと思うけど。一対一の意見の交流というものが阻害されている社会科クラスの現状からみれば、ささやかなコミュニケーションの場として落書き帳の存在は貴重である。 「黎明108号」 ここで、これまでのクラスの人間関係はというと、上級生と下級生の間はもちろん、同じ学年のわずか数人の人間同士でさえ、本当の意味での思考の交流はなかった。つまり誰でもある程度他の人を無視していた。これは、相手を知り尽くした上での反発による無視ではなく、話す前から「あの人間とはどうも気が合わないようだ」という感じで判断しての無視であるから始末が悪い。これでは真のコミュニケーションは生まれず、したがって何かをクラスでやろうとしてもうまくいかないのは当然でしょう。青いリンゴでもかじってみなければわからない。ひょっとするとおいしいかも知れない。人を外見で判断することは非常に危険なことである。クラスの縦の関係からいけば、先輩は後輩に対してもっと苦言を呈して欲しいし、後輩は先輩に対してもっと図々しくなって欲しい。図々しさも一つの美徳だと思うのです。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2018/03/05 04:30:42 PM
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