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テーマ:アーカイブス(3053)
カテゴリ:アーカイブスシリーズ
学級通信「海の子」~1976年4月~1977年3月 新採から3年目の1年間にガリ版刷りの学級通信を第41号まで発行した。その内容は、時代と離島という地域の特色を反映していて、読み返していると、単に懐かしいというだけではなく、貴重な歴史の証言者ともなり得るようだ。 「学級通信綴り」 生徒は学級通信のことなんて忘れていよう。だが、自分は実践の記録として保存してきた。しかし、そろそろ整理する時期が来たようだ。「断捨離」はこの段階に来ている。 「「海の子」最終号」 この年は41号まで発行している。離島の学校のため、生徒数がたった8名という中で掲載する原稿を確保するために、生徒に輪番で毎週の反省を書かせたり、季節ごとの学校行事や地域行事などの話題を取り入れた。 ※以下は最終号(第41号~1977年3月15日)に書いた担任としての言葉 8人の海の子たちに 君たちの期待を2回も裏切り、したがって「せめて一回は女の先生になってもらいたい」というはかない望みをぶちこわし、とうとう中学校三年間担任してしまった。しかし、これも運命だとあきらめてくれ。先生も、今思えばこうなる運命だったのだろう。でも、先生は、この運命をいい方向に変えて、この三年間をすごしてきたような気がする。三年前、まだ上の古い校舎が、小学校だった時、僕はその古い校舎で君たちと始めて会い、その日が入学式で、僕は君たち8人を引率して入学式の式場に入ったものだ。 その日から、今日までの三年間の年月が、今思えば、君たちにとって実り多い日々であったか否かということを最近よく考えた。ということは、すなわち、先生自身にとっても充実した日々であったのかという問いにもなっていたのです。 しかし、新米のニキビだらけの僕の不十分な力にもかかわらず、君たちは今、ぐんとたくましく、うんと頼もしくなって卒業していこうとしている。君たちは先生たちが次々に目の前に置くハードルを、ある時はいとも簡単に、又ある時には、何回も失敗を重ねながらも飛び越えてきたのだ。ある時は自分一人だけの力で、又ある時は、みんなの力と知恵を出し合って。 僕は思うんだけど、君たちにはそれだけの力があったんだろう。その力を君たちは信じなければいけない。「自分には飛べるだけの力があるんだ」ってね。しかし、一つだけ忘れてはいけないことがある。それは、君たちのその力を引き出してくれたのは、君たちのお父さん、お母さんと、これまで教えを受けてきたたくさんの先生方だということだ。 これからの君たちの前途には、もっともっと高いハードルがひかえているだろう。しかし、自分の力を尽くして跳べ、けっしてそれをおそれるな。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019/07/31 05:27:55 PM
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