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カテゴリ:真我
今年初の宇宙6時間集中コースを再受講しました。
いつも以上に集中を意識して臨みました。 今回一番強く印象に残ったのは、 ・「今」と「今」 ・「今」と「過去」 ・「今」と「未来」 は密接に結びついているのだという事でした。 そして体感しました。 前日の真我瞑想コースでの真我瞑想、神成瞑想中にもそこを垣間見た気はしたのですが、未だ何かそこを「受け入れられません」でした。 「落とし込めない」という表現は「元々落とし込める空きは有る」様に感じるのですが、私の場合「受け入れられない」のは「最初からその空きが無い」という感じです。 でも今回はそれを私が受け入れる、入れないに関わらず元々「今」と「今」「過去」「未来」が密接に結びついていたのだという事に気付きました。 そしてそれはそのまま、 ・自分を深く掘り下げているか ・深く掘り下げた自分を言葉で表現しているのか に繋がっているのだと今感じています。 講座の序盤では 「誰が産めと頼んだんだ」 「こんな風に産みやがって」 「訳のわからない人間にしやがって」 「見世物として生きる」 「どうせ人の事だ」 「干渉するな」 他にはかなり昔の和室で寝ている男性のイメージ等、いつもの事ですが私が普段持ち合わせていない私ではない認識が沢山現れました。 その時は自分が解決したい問題の原因は母との関係性よりも、母より以前の「記憶」の方にあるのではという気がしました。 その後もいつの時代かわからない昔の男性が自分の母、祖母等の「女性」に対して自分の罪を自白しているイメージが現れました。 それは自己処罰や原罪意識から逃れたい一心で女性に自白している様に感じました。 以前にもこのイメージが現れた事があったのですが、先ずは今回も意味があって現れるのだと捉えました。 講座に取り組む中でこれ程迄に母を恨んでいた心があった事に気付きました。 そして恨んでいた心は全く私の間違いだった事、そして母を恨んでいた心がフィルムになって「過去」「今」「未来」にもスクリーンとして自分の心に現れていたのだと気付きました。 ・自分を深く掘り下げながら「今」をいきる事の大切さ ・母の愛に集中する事の大切さ ・人間から捉える満月を前提にする事は神への謙虚さなのだ ・既に答えの中に生きていたのだ という思いが明確になりました。 他には自分、相手を責めなくなりました。 厳密には「責められなくなった」感覚です。 自分もですが、それよりも全てが自分を真我に導いてくれたという事実と今に感謝ができる様になりました。 今回も気付きの多い再受講でした。 参加して本当によかったです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019.02.11 16:46:30
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