テーマ:ジャンプの感想(4267)
カテゴリ:漫画
![]() ジョジョ第6部ストーンオーシャン最終17巻(80巻)、この本の扉の著者近影部分に書いてある、荒木氏は次のように語っている。 「説明するのがムズかしいんだけれど、 マンガを描いていると『重力』の存在と いうモノをすごく感じる(唐突ですけど)。 つまり作者はアイデアだとか、主人公 の行動をコントロールしてストーリーを 進行させていると世間一般で思われてい るようだけど、そうじゃあない事が描い ている時にあって、主人公が作者の意に 反して行動せざるを得ない時とか、絵に も描かざるを得ない絵というのが出てく る。これをぼくは『重力』と感じ、『重力』と は『運命』だと感じるのだ。S・O最終巻、 これをちょっと思って読んでほしい。 私は今までこれをロマンチックな詩的で、ジョジョの世界を美しく飾るため、ただそれだけのものだと今まで思っていた。しかし、私はついに現実にたどり着くことができた。 現実、真実は次のとおりだ。 「重力」=雑誌編集部などからの圧力 そうなんだ。「作者の意に反して行動をせざるを得ない」時とは即ち、作者である荒木氏が思い描くジョジョの行動ではなく、諸般の事情で荒木氏が意を屈せざるを得ない状況にあるということなのだ。ジョジョの世界をロマンチックにさせるための詩、であるというただそれだけではなかったのだ。 荒木氏は自分のもつアイデンティティにもとづき、彼の分身である主人公をまさにそのように自分として行動させようとするとき、それを阻むものが存在するということだ。 それはどんなに彼にとってつらいことだろうか。自分が、自分自身の分身である主人公たちが、自分では絶対に吐かないであろう言葉を、池しゃあしゃあととうとうと述べ連ね続けるのだ。このような苦しみは筆舌に尽くしがたいものがある。それは誰モノが想像に難くない現実そのものだろう。 さらに荒木氏はジョジョ5部文庫版によせて次のようにも語っている。 第5部『黄金の風』はじめに (前略) そういうテーマで「善」と「悪」の対決を描こうとすると、リアリティある「悪」の表現に対し、あの少年漫画の「自主規制」の「権力」というのか、「暴力」っていうのかが、突然作品を攻撃して来ます。 (中略) 「悪」や「人間の闇」の部分の表現には、醜い部分とか残酷な部分の表現がギリギリまでというのが不可欠になってしまいます。とにかく、今までの自分の執筆活動ではあまりなかった事なのだが、この第5部『黄金の風』に突入した途端(1996年頃)、突然編集部から「そのページ直せ」「あそこのセリフを変更しろ」「絵を修正しろ」という注文がものスゴく多くなったのだ。(中略)しかもなぜダメなのかだのの説明があまりなく、中には納得いく理由があまりハッキリしないのに、「とにかく規則みたいなものだから、〆切も近いし、そういう最近の出版状況なの。さっさと直してよ。後は自分で考えてね」的態度で指導があるのだ。 上記に引用した5部文庫あとがきを読めば私の主張にはしっかりとした論拠があるということがお分かりになることと思う。 そして5部にはとても印象的なことばが綴られている。 「我々はみな、運命の奴隷。しかし、目覚めることで運命を切り開く「眠れる奴隷」であることを願って・・・ この言葉に荒木が17巻(80巻)で言いたかったことの全てが集約されているだろう。
Last updated
2005/12/09 02:26:48 AM
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