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テーマ:日本のお城(201)
カテゴリ:城攻め 【群馬】
【情報】 丹生城は戦国期に西方から侵入する武田軍に対して備えた山城。弘治元年(1555)に後閑城へ移り後閑氏を名乗った新田景純の居城であった。 城は比高約80mの南峰を本丸とした連郭状の構えで、堀切や壕内道がよく残されている。また本丸下の帯曲輪には三日月石と呼ばれる巨石があり、これにまつわる説話がいくつか残されている。 【評価】
【場所】 群馬県富岡市上丹生<Googleマップ> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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丹生城への案内板があるのはいいのですが、途中で城の土橋を渡ったりと自動車走行だとかなりハードな道ですね。戻るのが大変そうだったので入り口付近の高速道路を渡る橋あたりに停めて行ってきました。
全体的に素晴らしい遺構が残っていますね。危うく高速道路の餌食になる所でしたが、破壊は免れてよかったです。 東側の物見曲輪は今も木が伐採されて視界良好ですが、なにやら儀式を行う設備が・・・あれがちょっと気になります。 (2008年05月20日 13時17分59秒) |