手塚治虫「メトロポリス」
愛すべき 人よ愚かな 人類よ 2007年に入って初めての手塚治虫作品再読は、この原作をもとに大友克洋脚本りんたろう監督による2001年5月アニメ映画としてお目見えした記憶がまだ新しい「メトロポリス」です。 1948年の「ロストワールド」、1949年のこの「メトロポリス」、1951年の「ネキストワールド」、これをSF三部作と呼ばれていますが、「いつかは人間もその発達しすぎた科学のためにかえって自分を滅ぼしてしまうのではないか」というメッセージは、戦後まだまもない頃なのに、地球や人類の未来を憂う作品をよく描けたものだと感嘆させられます。 アニメ映画ではティマだった主人公の人造人間、原作ではミッチイですが、彼というか彼女というか、両性具有なのではありますが、明らかに、あの鉄腕アトムの原型ですね。アトムは人間のために奉仕する活動が主軸でしたが、このミッチイは人間に裏切られ、人間に復讐します。「メトロポリス」がペシミズムの世界でその後の「鉄腕アトム」がオプチミズムなどという比較論法が使いたいわけではありません。「鉄腕アトム」の作品の中でも覚えてらっしゃる方はいるでしょう、青騎士(ブルーボーン)が登場するシリーズ。ロボット王国設立をするブルーボーンに加担するアトム。 手塚先生の中には絶えず未来に向けての希望と悲観の葛藤があったのではないでしょうか。つまり、本来あるべき姿と現実はそうでない姿、何故に人間は素晴らしい頭脳を持ちながら過ちを犯し続けるのか。明るい未来の向こうに自らの滅亡がある。人間は発達とか発展とか進化とか、プラス志向のこれらキーワードに対し、あたかも神のごとき存在として信奉しすぎるのかもしれません。 いやいや、そうではない。「メトロポリス」の冒頭に描かれているように、人間の歴史は、かつての恐竜時代と同様、栄華全盛期地球上に君臨しながらもいつしか衰退していくもの、それが自然の摂理なのかもしれません。いや、それにしても、人間はそんな自然をも巻き添えにしようとする、地球そのものを台無しにしようとしている。 この「メトロポリス」のミッチイの最後、そしてアニメ映画のティマの最後、私たちは単純に人造人間の最後と見るべきなのか、実は私たち人類の最後と見るべきか、それは鑑賞者に委ねられているかもしれません。でも、私は、何人もの見舞い客たちに対しベッドの中で既に人の姿もしていないミッチイ(シーツに覆われていてわれわれ読者には見えないが、それがよりいっそう悲惨さをそそる)の姿。そして壊れとけていく様をまざまざ見せ付けられながら溶解する頬があたかも涙のように見えるティマの顔、それに人間の哀れみを感じざるを得ません。 さて、話は変わりますが、文庫版の併載で「ふしぎ旅行記」という作品、これも誰かアニメ映画にしてもらえないでしょうかねえ。いや、あえて実写がいいかな。いやあ、絶対に面白い世界一周のたびが味わえる作品になると思うんだけど。なんせ、この作品自体がムービーを相当意識してらっしゃる。幽霊のあたりなんか昨今のCGを使えば分けないでしょう。創る人いなければ私が創ろう。誰かお金出して。 そうそう、ついでに、先の「メトロポリス」アニメ映画版。いたく満足して観させていただいたのですが、どうしても音楽(特にエンディングの。本多俊之どの、ごめんなさい)だけは首を傾げてしまい、「ええい、私ならこうする」と思って、自分なりに創ってしまいました。よろしければ聴いてみてくださいな。http://www8.muzie.co.jp/download/86793/songs180/timtim.mp3 上記URLクリックでMp3を再生するミュージックプレイヤーが立ち上がると思いますが、もし駄目ならhttp://www.muzie.co.jp/cgi-bin/artist.cgi?id=a019126 Musieサイトの私Shisyunページが立ち上がります。掲載作品の下のほうに title: TimTim genre: 映画音楽のBGM data: 7.4MB, VBR 44KHz stereo があります。これのMP3アイコンをクリックしてね(Realはちと音質が悪い)。