ところであらためてお金、って何だろう?誰のためのものだろう?
【送料無料】エンデの遺言「カネ」ですね・・・。 それって私たち実は誰からも「ちゃんと」教わっていないと思いませんか?いつの間にか世にソレがあることを知り、だんだん親がソレのことで汲々としていたり親はソレをこう言い、爺ちゃん婆ちゃんはソレにああ言い、それでも子どもながらに欲しいものや食べたいものを買ってもらって嬉しいところから「はっはーーーん???それってこういうことかぁ?」が始まり「お年玉」なんかで「欲しい!」に慣らされていく。そしていつの間にか「自分を自分が評価をするもっとも大きな指標の一つ」に取って代わって?しまっている。ま、エネルギーの「とある形」、には違いない、というだけの話なのに・・・。先日テレビのとある番組?で見たのですが日本に「貨幣経済」を導入したのは今、大河ドラマの主人公である「平 清盛」なんだそうです。宋の貨幣を導入したんだとか。で、後3年くらいでもし死ぬんだとしたら自分は何を学んでないか?をこないだ考えてたら「あ!金だ?」と思ったのです。ここ数十年「神とは?」「見えない世界はあるのか?」「爺ちゃんが時々言ってた不思議な感覚は何か?」「私が感じ取り"何でそんなことわかるの"というのは何が元でいったいどういうことなんだ?」「人の"心"の世界観とは?」「そもそも幸せである、とはどういう状態のことなんだ?」「そしてどうしてそれが永久に続行できないのか?」「人が苦しむのは何故か?」みたいなことばーーーーっか考えて追ってきたわけです。正直「どうやったら儲かるか」とかはど素人以下、というか上記のようなことばかり考えていたので自分を取り巻くカネ、に関しては常にその場しのぎ?というか自分が考えている世界観、としての「貨幣経済」というものは自分の考えよりも先に動きまくってて自分もそれに動かされたり、流されたりそのせいで自分の価値や人の価値を見る見方、に違和感を持ちつつどこかリアリティのある世界、としかわかってないのです。そういうことに根本的にヒントになるような何か面白い本あるかな?と思っても「稼ぐための本」と「貯めるための本(損しない、を含む)」と「願うための本」は簡単に見つかるのですが「そもそもどうなのよ?」っていうのは意外と見つけにくかったです。そこにまず「へーーー?」となりましたが・・・;;; 今、注文しているのが↑「モモ」や「ネバーエンディング・ストーリー」の作家ミヒャエル・エンデの「エンデの遺言 -根源からお金を問うこと」です。http://www.amazon.co.jp/dp/4062814196ミヒャエル・エンデ、の「モモ」を読んだのはきっと二十代の初め、でそこに出てくる「時間の強盗団」の巧みさ、に「ひょえええ」とドキドキしながら思った記憶があります。奇跡のコースのワークをやり始めるとそこまで「当たり前だ」と思っていたエゴの仕組みの矛盾を感じるとともにその自分が作りだしているエゴのありとあらゆる誘惑、というかエゴの「存亡の危機」から作りだされるチャレンジ、に出くわします。これは私がネイティブアメリカンのセレモニーに関わり始めた時も起こったことです。グレートスピリットは、「今立っているそこに全てを置いて行け。私に会うのならば"手ぶら"で来い」とでもいうかのような出来事が起こりますが今回も全くそう、な気がしています。エゴは「そこ」に置いて行かれちゃ大変ですから「いいの?僕がキミのそばに居ないと大変なことになっちゃうんだよ?わかってるよね?それでも一人で行くの?危険だよ?僕が居てはじめてキミは何とかなってるってことがわからないの?本当に僕なしで生きれると思ってる?ね?あなた、馬鹿でしょ?」とどうにもならない恋人みたいなことを散々頭の中で繰り返してくるわけです。で、それに対して「うっるさーーーーい!」と笑顔でちゃぶ台返し、ができないと次のステップは見えなくなってしまうのです。で、そのエゴの一番くらいの切り札は他者からの「孤立、孤独」自分や自分の周りの失いたくない家族や大事な人の「健康の侵害」「死への直面」「別れの予感」のようなものだったり「金の欠乏=それじゃ生活できないよん?あれもこれも手に入らないよん?」みたいなことのように思うのです。ここは人のアキレス腱、のように実は私たちが勝手に「強く強く」思いこんで信じている・・・・というだけの事象なのです、実は。ま、ともかくまだ注文したところなのでエンデの本を待って読んでみます。読んだらまたコメントしようと思っています^^_________アマゾンの説明↓________ブックレビュー現代のお金に関する常識を破る思想を紹介。事例や寓話を交えながら,「暴走するお金」の正体を探る「パン屋でパンを買う購入代金としてのお金と,株式取引所で扱われる資本としてのお金は,まったく異なった種類のお金である」。こう語りかける本書は,NHKで放送されたドキュメンタリー「エンデの遺言--根源からお金を問う」を1冊の本にまとめたものだ。ドイツの作家であるエンデ(故人)は,「個人の価値観から世界像まで,経済活動と結びつかないものはない。問題の根源はお金にある」と提起する。エンデへの取材をもとに,彼の蔵書,貨幣社会の歴史を紹介しながら,現代の金融システムが引き起こす弊害に警鐘を鳴らすのが本書の目的だ。本書では,事例や寓話を取り上げて,貨幣経済の仕組みと問題点を分かりやすく説明している。たとえば---。豊かな漁師町に,貨幣経済の導入と一緒に銀行ローンもやってきた。漁師たちはローンで大きな船を買って,効率が高い漁法を採用。そのおかげで,ローンを返すためにたくさん魚をとり,結局最後には魚が1匹もいなくなる---。貧しくても心豊かに暮らす人々の前に,時間貯蓄銀行から来たという「灰色の男たち」が現れる。男たちは人々から時間を奪おうとする時間泥棒で,「時間を節約して銀行に預ければ,利子が利子を生んで,人生の何十倍もの時間を持てるようになる」と言う。彼らの誘惑にのせられた人々は,余裕のない生活に追い立てられて人生の意味までも失ってしまう---。こうした身につまされるストーリーは,「将来」を輸入する一方で環境を消費し,地球の資源を食いつぶす現代人に向けた痛烈な批判だ。資本主義経済におけるお金は,より高いリターンが得られる場所に移動し,その結果,利益はごく一部の人に集まり,一方で利益を奪われ続ける多数の人々が存在する結果になったという指摘もうなづける。お金を銀行に預けると利子が増えるというのが現代の常識だが,本書では面白い事例が紹介されている。世界大恐慌直後のオーストリアのある町では,お金を保有していると1カ月ごとに価値が1%減少するという金融制度を導入し,経済活動を活性化させたという(最後は国家権力が制度を廃止させた)。プラスの利子は短期的な利益に向かい,マイナスの利子は長期的で人間の豊かさをもたらす有意義な投資に向かうというのは,現代社会の中に生きている我々にはなかなか思いつかない発想だ。お金の病にかかっていると指摘するエンデの予言は,とりわけ日本の経済状態を厳しく批判しているように感じた。本題の解決を先送りして,国と地方を合わせた長期債務残高は先進国の中でも最悪で,GDP(国内総生産)をはるかに上回っている。「人々はお金を変えられないと考えているが,それは違う。お金は変えられる。人間がつくったものだから」という本書の主張に,現代人はいつ目覚めるのだろうか。 (ダイヤモンド社 出版局 編集委員 名久井 範章)(Copyright©2000 ブックレビュー社.All rights reserved.)--このテキストは、 単行本 版に関連付けられています。 内容説明どうすればお金の支配から自由になれるのか『モモ』で知られる作家ミヒャエル・エンデと、実体経済や生活現場から乖離し暴走し始めている「お金」を問い直す旅へ。現代の常識を破る考え方などをレポート。