もどかしい記憶 第四夜 鬼の涙(19)
俺は目が覚めてから、ずっとかおるの事を考えていた。この先どうすればいいのか、と。このまま自然消滅か、それとも本当の事を言うか。このまま嘘を突き通すことは絶対に出来ない。かおるはそろそろ仕事が終わって車に乗っている頃だろうか・・・。「またね」と言ったかおるの言葉が木霊する。また会いたい・・・。しかし今度、またいつ痛みが来るか分からない。今度来たら暫く入院は間逃れないだろう。そうすれば、かおるにはもう会えなくなる。急に連絡が取れなくなった男の事なんてすぐ忘れられてしまうだろう。そう思ってしまう自分がとてつもなく嫌だった。嫌でもそう思えずにはいられないし、多分それが事実だ。どんどん心の温度が下がっていくのを感じていた。さぁ、どうする?急に何だか笑いが込み上げてきた。窮地に追い込まれている自分を、冷静に客観的に見ているもう一人の俺の存在が笑わせたのだ。あれこれ考えて慌てふためいている自分が急に滑稽に思えてきたのだ。どう誤魔化すことも最初から出来ないと分かっていたんじゃないか。ただ少しだけの期待と、少しだけの安らぎが欲しい。それだけだったんだろう?また別の場所からもう一人の自分が現れて、そう俺に問いかけると今度は涙が出てきた。そうだ。何度も最初から分かっていた事なのだ。俺には障害が多すぎる、と。俺はかおるに本当の事を言う事を決心した。本当なら実際に会って話したいのだが、なるべく早い方がいい。仕方なく電話で告げる事にした。けれど、なかなかかおるの携帯番号のリダイアルボタンを押せずに時間が経ってしまった。いつに無く俺は緊張していた。やっとの思いでボタンを押すとコール9回、留守電ギリギリの所でかおると繋がった。「もしもし」最初に言葉を発したのはかおるの方だった。「哲哉さん、今日の仕事疲れなかった?」と、2人だけの秘密を共有しているのを思わせるような含み笑いがこもった口調だった。「うん。」「何だか疲れちゃったわ。でもね、今日は急変や即入も無くて落ち着いた日だったから良かったわ。」「実はね、今日俺仕事を休んだんだ。」「どうして?体調悪いの?まさか寝坊しちゃったとか?」かおるの声は冗談半分に聞いている様なおどけた声に俺は聞こえた。俺は咳払いをして改めて決心した。「俺、病気なんだよ。」「・・・・。」かおるの返事は無かった。そして沈黙が2人の間を流れていった。頭の中で気持ちと状況の整理をしたのか、かおるが沈黙を破った。「病気って、どんな?癌?白血病?」「違うよ。でも治らない病気なんだ。」「だから、どんな病気なの?」かおるは、なかなか病名を言わない俺にイラついているようだ。「当ててみてよ。」俺は病名なんて言いたくなかった。「からかわないで。」「じゃ、ヒントは最初は盲腸かと思った。でも、違ってた。潰瘍性大腸炎とも間違われる事もある。そういう病気だよ。多分かおるの勤めている病院には俺みたいな患者は来ないよ。」「・・・・まさか、それってクローン病?」いとも簡単に当てられてしまってびっくりしたのは俺の方だった。「な、なんで分かった?」俺の言った言葉を聞いた瞬間「わっ」と言う泣き声が聞こえてきた。「ごめん。」俺はかおるにそう言うしかなかった。「そう言われて今までの靄がかかっていた事が全部晴れたわ。どこか病気じゃないかと感じていたけど分からなかった。」かおるは泣きながら途切れ途切れにそう言った。やはり、どこか変だと思われていたのだ。「どこがそう思った?」「食事よ。ドライブした時、ほとんど残してた。それから、肌が少し乾燥してた。でも、夏だから食欲無いんだって思ったし、肌の乾燥も少し日焼けしていたからそのせいだ、って思った。痩せ過ぎに見えたけど、もともと痩せ気味なんだって・・・・・。でも、病気だったんだね。」泣きながらかおるは言ったが、嘘を付いていた俺をなじる様な言葉は一言も無かった。「かおる・・・もう俺達会わない方のがいいと思う。」するとかおるは即答した。「どうして?」「その方のがきっとお互いにいいと思うから。」すると思いもよらなかった言葉がかおるから浴びせられた。「逃げるの?」俺は暫く固まってしまった。「哲哉さん、あなたもしかしていつもそうやって逃げてるの?」そんな強い口調でかおるがこんな言葉を言うなんて思いもよらなかった。「相手に先に逃げられるのが怖くて、いつも先に逃げてるの?」「そんなことは、ないさ。」そう言ってみたものの、俺の心の奥底に自分自身追いやってしまった気持ちをズバリ言い当てられたようで鼓動が速まっているのを感じた。かおるは続けてこう言った。「私は逃げずにここにいるわよ。」そう言われて俺の心の温度が上がっていくのを感じた。まるで、それは氷が溶ける様で心地が良かった。 <つづく>続きが読みたい・面白いと思ったらクリックしてね!励みになります!↓人気blogランキング