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カテゴリ:金曜…国井咲也
国井咲也の満巻全席 第375席
なぜスタジオジブリの新作の話なのに このタイトルなのか。 現時点で国井は 『かぐや姫の物語』は見ていない。 けれども、イメージとして 「やはり、トキとラオウなのだな」 というのが国井の結論だ。 なんの結論かというと、 つまり、『かぐや』の監督である 高畑氏と『風立ちぬ』の宮崎駿監督が 国井にとってはまさしくトキとラオウ、 「同時代に生まれた別タイプの天才」だということ。 こういう『凄さ』を 同時代に体感できると言うのは ある意味、幸福だ。 これには「自分にはできないという事を 再認識させられる」という苦い側面もあるが、 これらを含めるからこそ「凄い」のだと思う。 これも「他者との距離」を掴む為の重要な プロセスだと考えるからだ。 単に快楽ばかりに終止するようになっていると、 自己顕示欲の肥大のみになって、人間は荒む。 国井はそう思うし、そう見える。 まるで長い時間をいきている 人間の物言いだ。17歳なのに。 妙だな。 話を戻そう。 「トキとラオウって?」 と言う人も正しい。 マンガ『北斗の拳』の登場人物である。 なのでもはや若い世代にはピンとこない 比喩だとはおもうけれど、あえてこの 二人の名前を使う。(アニメだからだ) 高畑監督と宮崎監督の 日常のオンとオフを国井が知る訳ではないので 長い時間「いち観客」として見て来た 邪推ではあるが、国井のイメージでは 宮崎監督がラオウで高畑監督がトキ。 もちろんこれは キャラクタ設定がイコールではない。 「宮崎監督はラオウだ」 などと言うと、 作品世界のものとイコールで捉えて、 恐怖政治がしかれていると 考えてしまう人もいるだろうから 注意しておく。 『北斗の拳』で語られている この二人の天分のタイプというのは つまり「静と動」であり、 それが端的にジブリの二大巨頭に オーバラップしてしまうのだ。 いや、 「ジブリの巨頭」というのは、違う。 現代の『日本のアニメ』と言っても 良いかもしれない。 すると、 「おいおい、 高田さんより押井さんだろ」 と思ったあなたはもう30過ぎ。(失敬?) 国井は17歳だけれど(しつこい?)、 確かに「静的」と言う意味でも 押井守監督を トキとしたいところだ。 けれども全体を考えれば、 やはり高畑監督がトキなのではないか。 押井監督はケンシロウだろう。 だから海外でもいちはやく 実写映画になるのだ。(意味不明?) 「じゃぁ、ジャギは…」 いやいや。 私は『天才』の話をしている。 次週へつづく お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013.11.29 21:18:00
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