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カテゴリ:オチているとき
それは違うのにと思う話題がある。
それを諌めたいと思う。 しかし、冷静に書いても加熱していると言われる。 相手が、一般に広い見識を持っていると思われていたり 賢い人、シニカルな見方の出来る賢人と見られている場合、どうしたって不利だ。 なんつっても私はヒステリックな部分がないとはいえない。 でも、間違っていることは間違っている。 事実を誤認したまま、シニックな意見をツラツラ並べられ、間違った認識を広められてしまうのは困るのだ。すごく嫌なのだ。 違うのだ。そういう理由で使うんじゃないのだ。 指摘をすれば、専門家or当事者ではないから、ということばで逃げられる。 だったら専門家もしくは当事者の指摘を信用しろよと言いたくもなるが、その後一向に改めることもなく、謝るどころかエスカレートさせていくだろう。 行動に出れば、火に油を注ぐことになる。 一般の人が一般に考えの及ばないところで、事態は動いているのだ。 したり顔で論じているお前に、例えば足をなくした障害者がいついかなるところでどのように不便を感じているのか、想像することができるのか? 具体的に指摘することができるのか? 精神的なものであっても同じことだ。 ビジネスライクに何でも物事を切り取って考えられる人間に、ファジーな感覚の中でもがいている不器用な人間の気持ちなんか分からない。 非合理的な世界なんだよ。理屈でどうこうできるもんか。 そういう世の中だから、たまらなく居たくなくなる。 私は怒っている。ひどく怒っている。 けれどその矛先をどう向けていいか分からない。 そんなときに、壁なりなんなりを蹴っ飛ばして気分を変える方法があるだろう。 あの壁が、自分自身に向かうのが私のヘキだ。 私が壁を殴るのはそれを壊すためではない。 話を合わせたことはあるが、実は物を壊してスッキリしたことなんかない。 自分自身の肉体を傷付け、コブシを痛め、足を怪我させるために殴る。 衝動というヤツだ。私は昔からこれだ。異常だなんて知らなかった。 自分を傷付けても何にもならないが、じゃあ他者(人でもモノでも)を傷付ければ何かになるって言うのか? 何にもならないことでいえば同じことよ。だからといって腹を立てずにいられるか? 常に平静・冷静でいられるか? そんなの人間じゃないだろう。 友人がやっているのを見て、心を痛めたことはあるさ。その時は、自傷する彼女を責めようなんて思わなかった。彼女にそういう行動をさせる原因を憎んだよ。 私が自傷を表面化させたのはもっと後のことだけれども、私を諌める声はあっても、原因をなじってくれる人はいない。そんな不条理があるか? そういうときの苛立ちを緩和するのが抗ウツ薬というものであり、カウンセリングなんだ(今は個々に書き込むという手段も加わったが) 薬に頼っているわけではない。 薬が助けてくれることは、本当にほんの少しなんだ。 それを鬼の首を取ったかのように悪者扱いしやがる。そういう人間がいるから鬱は治らない。 あんたのせいなんだよ。 そんな風に考えたことはあるかい? 分かりもしないのに、外側だけを見て知ったような口を聞くな。 嘘を撒き散らすな。 嘘と嘘による弊害をこれ以上増やさないで。 頼むから、もう私を怒らせるな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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