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2005年04月10日
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カテゴリ:映画&音楽
 遅くなってしまった。
 一日が本当に、早い。
 
 仕事は、今日はプロ野球の取材でデーゲーム。
 楽天の田尾さんの苦しい表情って原稿
 作って終わりだったので、早く帰れてたのに。

 で、カテゴリーは映画かな?
 初めて、雑誌に投稿したものが活字に
 なった瞬間。嬉しかったですよね。
 16歳の時でした。雑誌は「キネマ旬報」。
 78年2月下旬号。つまり、ベストテン
 特集号で、愛読者の選んだ映画ベスト・テンと
 感想、ってやつ。そこに、自分の選んだ
 ベストテンと感想が載りました。

 16歳が僕を含めて二人、15歳が一人。
 「スクリーン」誌じゃなくて、映画の
 文章ばかりのイメージのある、エライ雑誌
 って感じだった「キネ旬」。
 その年に感想が掲載されたのは投票者総数2313人の中の
 25人。そのうち16歳以下はこの3人だけ。しかも
 、3人ともが明石、神戸と兵庫県のほぼ隣人
 といってもいい生活圏の人でした。

 気になりましたね。こんな小難しい雑誌、
 オレ以外にこの年(15歳から16歳)で読んでる
 ヤツって、誰だ、ってね。で、その後も
 残りの二人の名前がどこかに出てこないか、
 ってじっと見守ってました。

 結論からいいますと、おそらく僕を除く二人は映画
 畑で今、重要な仕事をなさってるはず。というか、そのうち
 の一人、一瀬隆重氏は「帝都対戦」のシリーズで、
 プロデューサーやったリ監督やったりで。今や、国際的
 な映画制作者になられたようで。大学時代(奇しくも
 同じ大学でした)、一瀬氏の制作した映画のルポを書こうと
 して、手伝いしながら取材した記憶も。ろくな文章に
 ならず、発表も出来なかった一作となりましたが。
 もう一人の方も、おそらく映画の裏方で今も仕事を
 続けられていると思います。まあ、同姓同名ってことも
 ありますが。

 あの読者の選んだベストテン、ってどういう基準で
 キネマ旬報社が感想を選んでいたのか分りませんが、
 後で見返すとすごい人たちが「読者」として投稿し
 てるんですね。
 例えば、22歳だった大森一樹氏(監督)は75年
 2月下旬号に74年度のベストテンの感想、読者と
 して掲載されてますし、毎年のように映画評論家に
 なられた寺脇研さんとかは、当時載ってました。

 で、昨日の続きなのですが、この当時は本当に映画評論家
 になって、文章で食べよう、と思ってたはずで。
 キネマ旬報の読者の映画評の投稿で、一次選考も通らない
 感想を送り続けてあきらめる気分になったのはいつの頃
 だったのか?というか、自分で映画も作らず、評論するって
 いう、他人のふんどし、みたいなのに、嫌気がさしたのも
 確かで。金田賢一さんが主演した「正午なり」の感想文が、
 一次選考だったかに通って名前だけが出たことがありますが、
 それほど優れた論評を書けてなかったのも事実で。

 22歳の頃には完全に、映画評論家になろうなんて頭はなくて、
 ルポルタージュの書き手、その先には小説の書き手、と
 考えていた節が。

 初めて文章でお金をもらうのは、16歳でキネマ旬報に
 初めて名前を載せて頂いてから6年後。23歳になった
 ばかりの頃、就職ジャーナルの誌上作文講座で「写真」
 という題目の時、インド旅行をテーマに書いた文章まで
 待たなければいけませんでした。この時に、佳作に入っ
 て5000円頂いたのが初めてで。

 初めて活字になった時。初めて文章でお金をもらった時。
 ここまでは二十代前半でクリアしてたんですけどね。
 初めて本を出すのは…。短く感じるのは確かなのですが、
 ずいぶん遠くへ来てるもんなんだなあ、とも漠然と
 思ってみたりして…。

 (下)「キネマ旬報」に掲載された僕の77年度洋画の
 ベストテン。ひねくれたガキだったことは、「ロッキー」
 をはずしてることでも分る。ちなみに「竣」となっているのは
 当時、母親が姓名判断に凝って「俊」を使うのをやめるように、
 僕に言っていたため。僕は当時、どちらでも良かった。
 でも今見ると、「俊」にしとくべきだったと思ってます。





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最終更新日  2005年04月11日 00時35分14秒


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