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一瞬にして、ある人が身近に感じられたり、
今まで遠くのものとしか感じることのできなかったものが、 近い存在として感じられたりすることがある。 それは「言葉に触れること」でもあり、 その人の「歴史に触れたとき」でもある。 例えば誰か自分が尊敬する人がいたとする。 現在生きている人でも、 歴史上の人物でもそうだが、 その人の生き様や言葉に触れ「共感」したり、 「感銘」したり、「感動」したりし、 「その人のように生きたい」 「その人のようになりたい」 「自分もあのような生き方がしたい」 と「こころ」が動くのである。 先日も書いたが、 幕末の維新の人物、吉田松陰という人がいた。 松陰は21歳の時、全国に遊学の旅に出る。 今のように交通手段もなく、徒歩で歩いて回る。 今のように情報も得られず、自分の足で歩き、 人と出会い、意見を交わし、話を聞き、 そしてまた、「人物」を紹介してもらい、 その人に会いに行く。 これが「遊学」である。 まさに 「人との出会い」 「人との縁」そして「学び」である。 その時をして、若き松陰は、 次のような言葉を言った。 「心はもと活きたり、 活きたるものには必ず機あり、 機なるものは蝕に従いて発し、 感に遭いて動く」 人間の心というものは、 もともと活き活きと脈づいているものなのだ。 そうした「活き活きとした心」には、 必ず「機会(出会い、チャンス)」が訪れる。 そして、その「こころ」というものは、 感動に出会い感動し、触発され、 行動へと人間を動かしていくものである。 人間というものは、まず「求める心」 それが、出会いと縁を引き寄せるのだと、 明治の維新の大人物も若き日にそのように言っている。 この言葉を聞くと、 まるで目の前に吉田松陰が、 今目の前にいるような感じがして嬉しく思うのは、 自分もそう思うからであろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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