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テーマ:生き方上手(672)
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一枚の「詩」が、思いもかけず出てきた。
それは非常に大きな衝撃と感動を僕の人生に与えた「詩」である。 昔あるセミナーで御一緒した女性の方が、盲目の方だった。 何日目かの夕方、海が一望に見渡せる食堂で、夕食を食べている時だった。水平線の彼方に、信じられないほど美しい夕日が今、沈んでいこうとしていた。 誰もが目を奪われ、落ちていく夕日に見入っていた。 そして、覚えず、ある人が言った。 「うわ~ぁ...きれいな夕日ねぇ...」 瞬間、多くの人たちが同時に「気づいた」 盲目の女性が自分たちの席に座っているということを。 これもまた同時に、振り返り何人もの人が彼女を見た。 すると、彼女は泣いていた。 目から涙がぽろぽろとこぼれていた。 しばらくして、彼女が言った。 「私にも見えます...、海に沈んでいく夕日が。私は、今日まで過ごした皆さんの温かい心遣いが本当に嬉しくて、ありがたいと本当に思います。だからその皆さんが見える夕日が、私の目にも見えます!」 誰も食事をせず、ただ黙っていた。 泣いている人もいた。 翌日、その女性がみなの前で紹介してくれた「詩」がある。それが部屋を整理しているときに、「久しぶり」に出てきたのである。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 「あたりまえ」 こんなすばらしいことを みんなはなぜよろこばないのでしょう あたりまえであることを お父さんがいる、お母さんがいる 手が二本あって、足が二本ある 行きたいところへ歩いてゆける 手をのばせばなんでもとれる 音が聞こえて声がでる こんなしあわせがあるでしょうか しかし、だれもそれを喜ばない あたりまえだと笑ってすます こんなすばらしいことを、みんな喜ばない そのありがたさを知っているのは それをなくした人たちだけ なぜでしょう あたりまえ ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ そのありがたさを知っているのは それをなくした人たちだけ なぜでしょう あたりまえ 最後のフレーズは、まだ若かった僕の胸に突き刺さった。親も兄弟も友達も...、目が見えることも、水が飲めることも、全てが「あたりまえに」あると思っていた... 本当に、今自分に「あたりまえ」にあることに、 もう一度感謝したいと、あらためて思った。 ありがとうございます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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