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テーマ:子育て親育て(728)
カテゴリ:エッセイ・随筆
特に、自分の思っていることと違うことを親がしたときに、それは嫌だった、お母さんの馬鹿、などと言って、親を叩いてくる3才長男に対して、お母さんがちゃんと聞かなかったから悪いね、ごめんね、などと妻が宥めている光景などを見ると、ますます違和感を覚える そんなに何でもかんでも聞かなくていい、そんなに何でもきいていたら自分の思い通りにならないと怒る我儘な人間に育つのでは と妻に言うと、自主性を育てるためにきいている、それに子どもが考えていることと違うことをすると子どもが怒って面倒臭いから事前にきいている、と答える 自主性とは何だろうか 何でも子どもの考えに従うことが、子どもの自主性につながるのだろうか 自分の将来したいことを自分で決める 良いと思ったことを自ら行動して実行する 周囲に流されず自分の考えをしっかり持つ こういう自主性は重要で、育てたいと思う しかし、自分の意に反することに怒り出すようでは単なる我儘になりかねない 我儘な人間は一時的に力を持っても長続きはしない 不満を募らせる周囲の群衆や、より我儘で力のある者によっていつしか排除、排斥されてしまう 最後に天下をとったのは、織田信長でもなく、豊臣秀吉でもなく、徳川家康だったが、家康は、自主性よりも他主性の人間だったと思う 泣かぬなら殺してしまえ 泣かぬなら泣かせてみよう と、泣かない者に対して、自身が行為する信長と秀吉に対して、 泣かぬなら泣くまで待とう と、家康は、泣かない者に対して、相手が行為するまで待つ これは、ある意味、相手の最大限の尊重であり、究極の他主性ではないか 自主性という言葉ばかりが強調され、独り歩きし、思い通りにいかなくても我慢する力、自分よりも相手のことを重んじられる心の広さ、そういう他主性の力が疎かにされていないだろうか 自主性は、本当に必要なとき、真に世の中のためになる道がみえたとき、そのときにしっかりと立てる自主性があればよいように思う お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023年07月26日 22時07分05秒
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