良くなかった言葉
「教師にでもなれ」よざるは私に言った私とよざるはガストかサイゼリヤにいたかと思う大学生の私は同じく大学生のよざるのところへ、遊びに行っていたどちらも無口で、弾むような会話はなく、どちらもぼそりぼそりと話した「教師になんかなんねえ」教師という仕事をよく分かりもせず、教育の意味について考えたこともないのに、苦笑して答えた教師という仕事は、よざる自身が興味を持っていた仕事かもしれなかった 後年よざるの小説のような作文のようなノートを読んだことがあり、教師になる夢について書かれていた 家庭教師をして中学生を教えているうちに、よざる自身が中学の頃親に言われて嫌だったことなど思い出し、子どもに光を当てる教師という仕事に憧れるという教師になんか、という言葉は良くなかったよざるは、私の答えにどこか肩を落としたようにも見えたこういう否定的な言葉遣いは、母に似た私が無神経に吐いた否定的な突き放すような言葉に、よざるは困惑しただろうか、気力を無くしただろうか教師は子どもを育てるとても重要な仕事で、やりがいのある素晴らしい職業ではある、などと答えていたら、よざるはどれほど前向きな気持ちになれただろうか今頃、地元で教師をして家族を持って幸せに暮らしていただろうかしかしこんな想像は想像でしかない、予想でしかない、自分の都合の良いように描いた空想でしかない教師になっても心労で病気になって不幸になっていたかもわからないから