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すべての雲は銀の裏地を持っている。。。

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2011.11.15
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カテゴリ:韓国・北朝鮮
最近は、3・1独立運動について、いろいろ読んでいるのだが…あまりにも捏造資料が多く、何を信じていいものか?思案しております。

とりあえず、ここに独立宣言書を他のブログから引用する。

★『己未独立宣言文』★
    -西紀1919年3月1日,朝鮮三・一独立宣言文-
           = 宣 言 書 =

 吾等はここに朝鮮が独立国であるとと,朝鮮人が自主の民であることを宣言する。これを世界万邦に告げて,人類平等の大義を克く明らかにし,これを子孫万代に誥げて,民族自存の正しい権利を永く保有せしめるのである。

 半万年の歴史の権威によりてこれを宣言するものであり,二千万民衆の誠忠を合わせてこれを普く明らかにするものであり,民族の永久に変わらない自由発展のために,これを主張するものであり,人類の良心の発露に基づく世界改造の大気運に順応し,共に進むために,これを提起するものであるからこれは天の明らかな意思であり,時代の大勢であり,全人類共存共生権の正当な発動であって,天下の何者であれ,これを阻止抑制することはできないのである。

 旧時代の遺物である侵略主義,強権主義の犠牲となって,有史以来幾千年を経て初めて異民族による箝制の痛苦を嘗め,今年で十年になる。我が生存権がどれほど剥奪されただろうか。心霊上の発展がどれほど阻まれたであろうか。民族的尊厳がどれほど毀損されたであろうか。新鋭さと独創性で世界文化の大潮流に寄与貢献する機会がどれほど失われたであろうか。

 ああ旧来の抑鬱を宣暢しようとすれば,現下の苦痛から脱け出そうとすれば民族的良心と国家的廉義の圧縮銷残を奮い起こし,伸長しようとすれば,各個人の人格の正当な発達を遂げようとすれば,可憐な子弟に苦しくて恥かしい財産を遺し与えないようにせんとすれば,子々子孫の永久に安全な幸福を導き迎えんとすれば,その最大の急務民族的独立を確実にすることにあるのだから,二千万各個人が方寸の刃を懐にし,人類共通の心と時代良心が正義の軍と人道の干戈で,救護する今日,吾々は進んで取るに,挫くことのできない強者はいず,退いて作すに,展べることのできない志はない。

 丙子修好条規〔注:1876年の江華島条約〕以来,いくつもの金石盟約に欺かれたことで,日本の不信義を罪しようとするものではない。学者は講壇で,政治家は実際に,我が祖宗の遺産を植民地視し,我が文化民族を土昧人扱いして,ただ征服者の快を貪るだけであり,我が久遠の社会基礎と卓越した民族心理を無視したと言って,日本の不義を責めるものではない。自己を督励するに急な吾々には,他人を怨み咎める暇はない。現在を苦辛経営するに急な吾々には,宿昔を懲しめさばく暇はない。

 今日吾々の任ずる所は,ただ自己の建設あるのみであり,決して他者の破壊にあるのではない。厳粛な良心の命令で,自らの新運命を開拓することであり,決して旧怨と一時の感情で他者を嫉み排斥するのではないのだ。旧思想,旧勢力に驥びされた日本の為政者の功名の犠牲となった不自然,又不合理な錯誤状態を,改善匡正して,自然で合理的な正しい大原に帰らせることにあるのだ。

 元々民族的な要求から生まれたものではない両国併合の結果が,畢竟姑息的威圧と差別的不公平と統計数字上の虚飾の下で,利害相い反した両民族に,永遠に和同することのできない怨みの溝を深めた今日の実績を観よ。勇敢果敢さで旧き誤りを廓正し,真正な理解と同情に基づく友好的新局面を打開することが,彼此間に禍を遠ざけ福を招く捷径であることを,明らかに知ることではないか。

 また,二千万の含憤蓄怨の民を威圧で拘束することは,ただに東洋の恒久的平和を保障する所以ではないだけではなく,これによって東洋安危の主軸である四億万の中国人の日本に対する危惧と猜疑をますすま濃厚にさせ,その結果東洋全局が共倒同亡の悲運を招致するのは明らかであるから,今日吾らの朝鮮独立は,朝鮮人に正当な栄えある生を遂げさせると同じに,日本人を邪しな路から脱け出させ,東洋支持者である重責を全うさせることであり,中国をして,夢寐にも免れることのできない不安,恐怖から脱出させるものであり,また東洋平和が重要な一部をなす世界平和,人類の幸福に必要な段階となるものである。これがどうして区々たる感情上の問題であろうか。

 ああ,新天地が眼前に展開している。威力の時代が去り,道義の時代がきたのだ。過去全世紀に練磨長養された人道的精神によって新文明の曙光を人類の歴史に投射することが始まったのである。新春が全世界に来て,万物の蘇生を促している。凍てつく氷と寒雪に呼吸を閉ざし,冬ごもりしたのが,彼の一時の勢いであるとすれば,和風暖陽に気脈を振るい舒ばすことは此の一時の勢いであるから,天地の復運に際して世界の変潮に乗ずる吾々は,如何なる躊躇もなく,如何なる忌憚もないのである。我が固有の自由権を譲り全うして,旺盛なる楽しみを飽くまで享受するであろうし,我が自足する独創力を発揮して,春満ちたる大界に民族的精華を結実するのである。

 吾々はここに奮起する。良心は我と共に存し,真理は我と共に進むのだ。男女老少の別なく,陰鬱の古巣から活発に立ち上って,森羅万象と共に欣快な復活を成し遂げたのである。千百世の祖霊が吾らを陰ながら佑け,全世界の気運が吾らを護っているので,着手が即ち成功である。ただ,前方の光明に向って驀進するばかりである。  

公約三章
 一, 今日の吾らのこの挙は,正義,人道,生存,尊栄のための民族的要求であるから,ひとえに自由の精神を発揮するもので,決して排他的感情に走ってはならない。
 一, 最後の一人まで,最後の一刻まで,民族の正当な意思を快く発表せよ。
 一, 一切の行動は最高に秩序を尊重し,吾らの主張と態度をどこまで光明正大にせよ。
   朝鮮建国4252年3月1日 朝鮮民族代表 (33名 記名 書きこみ継続・・・)

参照)http://plaza.rakuten.co.jp/maitaisi/diary/200710190000/


 日本が朝鮮を併合した1910年からちょうど10年後の1919年に3・1運動が起きます。
韓国人は、3・1運動を平和的な独立運動の先駆だと自慢していますが…
どうなんでしょう?

 ”着手したことが成功である。”ということらしいのです。ということは、何もしないということなんだ。「独立宣言」が「何もしない宣言」になっているんだ。

 最初は非暴力デモだったが、その後暴動へと発展したので、朝鮮総督府は武力弾
 圧したようだ。

あのトンでも上海臨時政府?は、死者7509名。負傷者15961名としているが…これは、水増しだろう。

朝鮮総督府発表(6・20)は、死者561名。そのうち、憲兵・警察官は8名。
負傷者は1567名。そのうち、憲兵・警察官158名。
この発表は、戸籍等からカウントしているだろうから、まあまあ信じられるだろう。
それに憲兵・警察官も8名亡くなっている。これが多いか少ないかは、判断が分かれるところだが…平和的にデモ行進しただけではないことがわかる。

さらに、「朝鮮民族代表」として、記載してあるが…
なぜ、この33名が代表なのかも不明瞭ですね。

そして、パコダ公園で宣誓書を発表した後、料理店でも朗読して、それから警察に自ら出頭しているんだ。その後のデモは…誰が主導したのか…暴動になったのではないか?

ある人のH.Pには、3・1運動の事が以下のように記載されていました。

 「騒動は次第に地方に広がり、三月下旬になると、全道に及んだ。人心険悪で、警備の欠乏に乗じ、棍棒、鎌、鍬、竹槍または稀に拳銃を使って軍隊、警察に抵抗した。さらに官公署や学校を襲い、放火、破壊を行ない、内地人の家産あるいは巡査補、憲兵補助員(朝鮮人が担当)の居宅を犯し、警察官を殺した例さえも起こった」
(陸軍省公表として日韓共鳴二千年史p348より)

 
「同年三月一日、京城のパゴダ公園では独立宣言書が読み上げられた。その運動方針として、非暴力・無抵抗主義を標榜した。しかしながら商人・労働者が参加した独立運動の第二段階では、万歳を連呼しながらデモ行進すると共に、ストライキ・電車打ち壊し・鉱区破壊等の暴力的行為が出現した。この運動では、民衆が万歳を連呼しながら、デモ行進したので、「万歳事件」とも呼ばれる。
 同運動が第三段階に入り、主要都市から地方へ広がると共に、農民達は武装して面事務所(日本の村役場に相当)、憲兵事務所、親日派地主などを襲撃する迄に変質して行ったのである。かくして、当初の旗印は忘れ去られ、同運動は迷走して暴力化の道をたどる事になった。*1
 警察署や村役場の打ち壊しのみならず、学校への焼き討ちに加え、在鮮日本人に「日本に帰れ」と投石を以て脅迫行為を行なった事実は、テロそのものであり、朝鮮半島全域で反復されたのであるから、これを暴動と形容しても過言ではない」
(「植民地朝鮮の研究」杉本幹雄著 展転社刊 p61~62より)*1は著者が引用した文献「李王垠伝記刊行会編『英親王李垠伝』共栄書房二〇〇一年)
 

これを読むと、運動というより暴動ですよね。

ではこの暴動における裁判の結果はどうだったのでしょう。

首班とされた天道教第三代教祖孫秉煕など八人に僅か懲役三年、その他懲役二年六ヶ月が六人、有罪三七人に過ぎない。これは内乱罪の適用が高等法院で却下され、保安法及び出版法違反という微罪となったためである。

まあ、何と、優しい刑でしたね。李氏朝鮮時代では、処刑かもしれません。










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最終更新日  2011.11.15 23:36:18
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