118029 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

島根県民 政治を語る 2

島根県民 政治を語る 2

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Profile

島根県民・弐号

島根県民・弐号

Category

Freepage List

Calendar

Recent Posts

Archives

2024.06
2024.05
2024.04
2024.03
2024.02

Comments

王様@ 潮 吹 きジェットw サチにバ イ ブ突っ込んだ状態でジェット…
ボーボー侍@ 脇コキって言うねんな(爆笑) 前に言うてた奥さんな、オレのズボン脱が…
チリチリ@ 次は庭で全裸予定w http://kuri.backblack.net/ltdckg0/ ち○…
通な俺@ 愛 液ごちそうたまでしたw http://hiru.kamerock.net/d6jwzpk/ フ○…
ダル伊藤@ ズ ル ム ケ自慢の奴涙目w 包.茎の方がピストンしてる時に、皮がこ…

Favorite Blog

岐阜メタル myworldさん
大東亜戦争は聖戦で… 比布智さん
徒然日記「多事某論… 某S氏さん
東亜帝国大学 Web Si… 法☆学太郎さん
電波帝国 MJ-12さん
Jargon Blog Jargonさん
極東三馬鹿調査委員会 WinStrategyさん
ガードマンのつづる… 杉山巡さん
◎ - 陽はまた昇る ライ太さん
それでもなお平穏な… Cpt.higeさん
2007.03.23
XML
カテゴリ:竹島







 談論風発 : 本紙「古地図」報道を受けて 「于山島」は竹島と無関係(山陰中央新報)


 拓殖大学国際開発学部教授 下條正男

 山陰中央新報は二月二十二日付の記事で「竹島(韓国名・独島)問題で韓国側主張覆す古地図見つかる」と報じた。そこでは「鬱陵島の東側に描かれた小島に『所謂(いわゆる)于山島』『海長竹田』と書かれている。『海長』は竹の種類を指すと見られ、于山島は竹が生えない不毛の岩の塊の独島ではない」とし、専門家の意見として「于山島が独島でない証拠として貴重」と伝えていた。

 だが、これだけでは韓国側の主張は覆せない。韓国側にすれば、小島に「所謂于山島」と明記されているだけで、それが独島であることに疑いの余地がないからだ。そこで韓国側からの反発を避けるためにも、私見を述べておきたいと思う。

 まず、記事中で年代不詳とされた古地図は、一七一一年、朴錫昌らが鬱陵島に渡った際に作成した「欝陵島図形」で、竹島問題研究会の舩杉力修氏(島根大法文学部助教授)が調査した地図の中にも含まれている。この地図で重要なのは、次の識語が存在することである。

 「辛卯五月十四日、倭■(舟ヘンに工)倉より舟を風待(かぜまち)所に移して一句を拙書し、以(よ)って日後の標とす。(中略)捜討官折衝将軍三陟営将兼水軍僉節制使朴錫昌(以下略)」 

 これは辛卯の年、捜討官の朴錫昌が鬱陵島に赴き、、「欝陵島図形」を作成したことを示している。では「辛卯」の年とは、いつのことか。朴錫昌は「欝陵島図形」の他にも「辛卯五月初九日、倭■(舟ヘンに工)倉に到り、泊す。(以下略)」とする石碑を鬱陵島に残している。その石碑の「辛卯」については、韓国の国立博物館が一九六三年に刊行した古蹟(せき)調査報告書では一七一一年としており、「欝陵島図形」の「辛卯」も同じ一七一一年とみてよいであろう。

 この「欝陵島図形」で重要なのは、鬱陵島近くの小島に「所謂于山島」と明記されていることである。これまで韓国側では一七七〇年に成立した「東国文献備考」の文中に、「于山は倭の所謂松島(現在の竹島)なり」とあることを根拠に、文献に残された于山島を、ことごとく今日の竹島と解釈してきた。それが「東国文献備考」が成立する五十九年も前の「欝陵島図形」に、「所謂于山島」と明記されているのは、そのころから于山島が特別な意味を持っていたことを示している。

 では、なぜ「欝陵島図形」は、鬱陵島近くの小島を于山島とせず、「所謂于山島」と表記したのであろうか。それは「辛卯」の十五年前(一六九六年)、隠岐島に密航した安龍福が「松島(現在の竹島)すなわち于山島」と証言し、于山島に関心があったからである。

 だが「所謂于山島」と注記された于山島は、現在の竹島とは違う。それに「東国文献備考」の編さん以前に成立した「東国地理誌」「東国輿地志」「春官志」「輿地図書」などでは、于山島は現在の鬱陵島のことを指していたからだ。

 それが松島(現在の竹島)のこととなったのは、安龍福の供述が発端となった。その痕跡は、隠岐島で発見された「元禄九年丙子朝鮮舟着岸一巻覚書」にも残されている。その安龍福の供述を無批判に踏襲し、「東国文献備考」を編さんする際に、引用文までも「于山は倭の所謂松島なり」と改ざんしたのが申景濬である。


 だが、安龍福の供述以後、地図上の于山島は、今日の竹嶼(チクトウ)を指すようになっていた。その最も古いものの一つが朴錫昌の「欝陵島図形」で、以後、「海東地図」「青邱図」「大韓全図」「大韓輿地図」などにも踏襲された。「松島(現在の竹島)すなわち于山島」とした安龍福の供述は、後世を惑わす元凶となったが、地図に描かれた于山島は、竹島とは無関係の竹嶼を指していたのである




 -------・-------


 下條正男先生、毎度御苦労様で御座います。

 結局のところ、「朝鮮人が竹島に興味があった」。それを察した安龍福が妄言を吐き、それを申景濬が史実として歴史に記録した結果、現在の朝鮮での捏造史になると云うわけですな。


 何処をどう見ても朝鮮捏造史です。本当にありがとうございました。


 それにつけても、ビーバーズはGJ!!ですな。



 関連

 ゲーリー・ビーバーズ氏への応援おねがいします

 「竹島の日」記念行事 速攻レポート

 フィオリーナの、だから何なの?以心伝心



 「フィオリーナの、だから何なの?以心伝心」さん、「竹島プロジェクト2007 みんなで竹島の日を盛り上げよう!キャンペーン」ではたいへんお世話になりました。





 





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2007.03.23 21:17:59
コメント(0) | コメントを書く



© Rakuten Group, Inc.