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ひっち秋つれずれ日記

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2008.01.02
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カテゴリ:カテゴリ未分類
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朝日新聞北海道総合版は特集「先人からの伝言」で
荻野吟子の特集をしている。今から100年前の
日本で最初の女医といわれてもぴんとは来ないが、
地域医療の専門家、現夕張医療センター長の
村上智彦医師といわれれば、マスコミで広く紹介
され、北海道で知らない人はいないほどだ。
その村上医師が、夕張の前に勤めていた先が
瀬棚町の「荻野吟子記念瀬棚医療センター」である。
全国初の65歳以上の肺炎球菌ワクチン接種助成
など予防医療を訴え、地域住民の医療知識の普及に
勤めていた。

北海道への入植とキリスト教ということでは
渡辺淳一氏の小説「花埋み」に詳しく
志方はキリスト教伝道者で、27歳の時吟子と結婚。
北海道にキリスト教徒による理想郷建設計画を
実現しようとして、同志丸山要次郎と2人で渡道し
インマヌエルに入植、後に吟子の渡道も要請する。
具体的には1891年(明治24年)、
志方之善と同志社の学友丸山要次郎が現地調査をし、
要次郎が越冬。翌年志方他5名が入植。
1893年(明治26年)要次郎の兄で伝導者の
丸山伝次郎他、キリスト教超教派の合せて60数戸
が入植。

我々がまた、現在のせたな町(旧瀬棚郡東瀬棚町)
の生まれで、せたな町に神丘という地名があり、
子供のころから不思議に思っていた地名であったが
要するに利別川流域のキリスト教の理想郷建設地に
近いところで生れている。今金とか美利花
(ピリカ)などといった土地にも縁がある。

地元町史の研究家、弦巻淳さんは、
「往診のときは雪道を吟子が馬に乗り、志方が
くつわを取った。2人で一緒にいられたのは
一生のうち何年もない。このときが吟子にとって
一番幸せなころではなかったか」(朝日新聞)
と回想している。

地域医療というのは大変なことなのだろうけれど
現在の瀬棚医療センターの吉岡和晃ドクターは
「100年前もっときびしい状況でくじけなか
った女性医師がいた。それに比べたら自分の
苦労はたいしたことではない」と述懐している。

荻野吟子医院開業の碑(セタナイの八景)

明治の橋の夜の雨
二見が浦に夕日さす
掛潤に宿る帆掛舟
利別に落つる雁











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Last updated  2008.01.03 05:50:53
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