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テーマ:今日の出来事(288889)
カテゴリ:日常
先月、神奈川にトミー・エマニュエルを取材しに言った日、
みなとみらい線ちゅうのに乗った。 渋谷駅の始発で座席はガラガラなので、我が輩は椅子に座る。 何か、その電車には子供人気の高いマンガが書いてあるようで、 発車のベルが鳴っているというのに、 お母さん達が交代交代で、子供を電車の前に立たせて、携帯で写真を撮っている。 ベルが鳴り終わっても、まだ撮影している。 乳母車には、そのマンガを理解できないような赤ちゃんが乗っていて、 そのお兄ちゃん(3才くらい?)という兄弟。 それと似たような、3家族ほど。 「この電車には乗らないのだな」と思って見ていたが、 撮影し終わると、ドアが閉まる寸前に、子供達の腕をひっぱるように電車に乗せる。 「乗るんかい!」 そういう写真が撮りたいのは分かるが、 「あと5分、早くここへ来て撮影すれば、そんなに強く子供の手をひっぱらずに済むだろうが!」 「しかも携帯写真かい!せめてデジカメ持ってこんかい!」 などと心で思ってはいるものの、もちろん声には出さない。 で、驚いたことに、その家族達「他人」なのである。 全員が仲良しで同じ車両で交代しつつ撮影していたのかと思ったら、違ったわけだ。 車両の中では、誰も話なんぞしていない。 電車は走り出し、自由が丘に近づいた頃には、座席は埋まっていた。 我が輩は、買ったばかりのデジタル・ビデオを入れたリュックサックを足下に挟み、ビデオの解説書を読んだ。 子供連れの母親達の事は忘れていた。 自由が丘に到着。 突然、子供の鳴き声。 電車の中で子供が泣くなんて日常茶飯事なので、この時点で我が輩は意識していない。 解説書に没頭していた。 と、電車の外側から大人の男性の声 「子供が挟まれた~!」 ん? 意識を本から放す。 「子供が挟まれた~!」 気がつくと、我が輩も立ち上がってその大人の男性が押さえているドアを押さえている。 ほぼ無意識。 さっきの3才の男の子の手がドアの仕舞い場所(?)に引きずり込まれている。 男性の言葉が変わる。 「車掌~~~!子供の手が挟まれてるんだって~!」 子供は「痛いよ~」と声を出して泣いている。 母親は、何もしていない(パニックで、何もできないんだと思うけどね)。 1分ほどに感じられたが、たぶん20秒ほどで駅員が来る。 駅員が、小さな声でブツブツと何かをつぶやきながら ドアの上部にある小さな扉を開けて、何かレバーを引いた。 で、ドアに手をかける。 男性と我が輩は、駅員が何をするんだか、分からない。 (たぶん手動にするんだと思うが、ドアを開けるべきなのか閉めるべきなのか判断がつかない) ここで、やっと我が輩は声を出す。 我が輩「ドアを閉めるの?」(←普通の声) 駅員「手動にします」(←小さな声) 我が輩「閉めるの!?」(←少し大声) 駅員「はい」(←小さな声) で、3人でドアを閉める。 (実際はたぶん、大人ひとりで閉められる力だったかも) 子供の手は、そう大した怪我ではないようで、手が戻ったら泣き止み、普通に戻った。 それを見た我が輩は、座席に戻ろうとする。 そこで、気がついた。 他人事のように何もしない人々の顔。 我が輩のリュックサックは、車両通路に転がっている。 自分でリュックを拾って、元の席に座る。 駅員は、母親に「降りてください」と言う。 (実は、母親は何も無かったかのように、そのまま電車で目的地に行くつもりだったようだ。ってか、まだ小さなパニック状態ですわな) さっきの男性の声が、駅構内に響き渡り始める。 「おまえ!車掌か!?」 「車掌ではありません」 「車掌じゃなくったって、なんですぐに駆けつけないんだ!?」 「いえ、気がついてから、すぐに、、、、」 車内放送が流れる。 「お子様がドアに手を挟まれたため停車中でございます、皆様にはご迷惑、、、」 電車は、10分ほどして発車。 ==================== 誰が正しくて、誰が駄目なのか?なんて訳のわからん心理テストのような事を書く気は無い。 実際、事故が起こった瞬間は、誰でも小さなパニック状態になります。 頭の中は白くなります。 母親は、子供が挟まれても「キャァ~」も「助けて~」も言えなくなっちゃいます。 男性は、子供を助けたことで意味なく正義感が沸いてきて駅員を必要以上に怒鳴ります。 駅員は、何をするべきかは分かってはいるものの、我が輩や男性に何を言うべきかは認識していません。自体の直後に、その回りの乗客に何を言うべきか認識していません。 我が輩は、手が挟まれているんだからドアは閉めるべきだという当たり前の事を思いつきません。 誰もが「小さなパニック状態」なのです。 ここで、子供をドアの近くに立たせる母親が悪いなんて事はしょぼい意見です。 そんなのは悪いに決まってます、悪いに決まっているけど、事故ってのは予期せず起こるのだから。 で、しいて言うなら、最も怖いのは「無関心」です。 ==================== マンション住まいをしている。 道路に面していた引っ越し前のマンションでは 救急車や消防車の音を、よく聞いた。 その度に、一応、我が輩はベランダに出る。 で、他のベランダを見ると、いつも顔を出す住人は同じ。 顔を見合わせて、「遠いね」とか言いながら部屋に戻ったりする。 これ、野次馬根性とは違います。 小火を消したことがある。 ベランダから隣の部屋に飛び移り、水道からの水を一回、手ですくい、、、、 俺ひとりでは消せないと思い、119番。 結局、冷静を取り戻した我が輩は、風呂のシャワーで消した。 消し止めてから、消防車やパトカーが4.5台来て、大騒ぎ。 廊下に出てみると、結局、集まっていたのはベランダで顔を合わせる人達のみ。 他の部屋の人達は、起きているのか、寝たままなのか、、。 それ以降、その件も含め、マンションには老人が居るのだから、 もっと交流があったほうが良いとのことで、 バーベキュー大会が行われたのだが、結局、そこに顔を出すのは同じ人々。 ==================== 話を戻す。 電車のドアの上に手動ドア・ハッチがあることを鉄道側は乗客に普段から知っておいてもらうために明記したほうが良いのではなかろうか? もちろん、そこには、イタズラ防止も考慮しなければならないうえで。 我が輩のような、普段から自分を頭良い人間だと思っている(笑)者でも、 ドアを閉めるべきか開けるべきか、一瞬はわからなくなる。 水道の水を手ですくってしまう。 たぶん、同じことが2度起これば、次は対処できるような気もするが確信はできない。 手動ドア・ハッチを知った我が輩が、例えば、次に同じ事が起こった場合、勝手にそれを操作していいのか、あるいは、次も駅員を待たねばならないのか?そこは分からないままなのである。 ==================== 認識しておいて損のないこと。 (1)電車には全てのドアの上に、手動切り替えボックスがあるということ (2)手が挟まれたら、ドアを閉める方向にひっぱるということ (3)火事で人が死ぬのは、燃えて死ぬのではなく、二酸化炭素中毒で死ぬということ (4)野次馬根性と危機管理意識の違いを、普段から持っておくと良いってこと (5)水道からの水を手ですくっても無駄だということ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.08.08 12:28:19
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