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人として
もう少し考えなくては 故郷 流人 進出か侵略か分からない、愚かな政治家のいる国の戦後生まれの一団が上海に上陸した。おまえら何しに来たんじゃ、せいぜい金でも落として行け、と私が中国の老人なら思う。半世紀前に日本軍が行ったことを我々は教育されたか、いま教育しているのか、何の認識も持たず知識もなく、物見遊山に来てしまった自分に対して情けないものがある。 このあいだ、上海で二年、ネイハで一年いた老兵と話した。上海の外国租界には犬と中国人は入るべからずの看板があったとか、ネイハは將介石の生まれ故郷とか、よく知っている。 「おっさん、上海やニンポーの道、今行っても分かるかい」 「おお、たいがい分かるやろの」 同じ部隊の者が中国女性を強姦した。次の日婆さんと来て首実験をして、その兵隊は営倉に入った。中隊長曰く、強姦したら殺せと。日本の兵隊は悪いことしたぞ・・・、ポツリと言う。 当地区にも中国戦線に行った老兵は多い。あまりしゃべりたがらないが、歴史の証人として、今聞いておく必要があろう。 虐殺、強姦、相手が日本人でないからかまわない。戦争とはああいうものと思っている人が多い。人の足を踏んでも相手の痛みは分からない。もし自分が手足を縛られ、首を切られるその直前、何を思うか。絶対に許さない、死んだ後も怨念が、おまえだけは許さない・・・と。子供は刺し殺され、女性は両足を引き裂かれ、村人全員座らされ機関銃掃射、油をかけられ黒こげになった。 昭和12年12月13日、東京日日新聞 「百人斬り超新記録 向井106-105野田 百人斬り競争の両少尉」 こういう資料を見る機会があった。首を落とされる人の気持ち、それを見ている同胞の心理、泣くに泣けない悔しさ無念が残る。そういう虐殺をされた国の人々が残留孤児を育ててくれたのである。日本人ならおそらく殺していただろうに。 上海で最後の買物をした土産屋の掛軸売り場に、顔半分に青アザのある老人がいた。人間の顔とは全身の神経の末端であって、精神を磨き、ある心境に達すると、その精神の輝きが自ずと顔に現れるそうである。我々に対する物腰、態度、そこには修羅場を何度も経験し全てを知り尽くした顔があった。少なくとも地位とか財産とか名誉のために生きている人ではなかった。どうせ一度はあの世とやらへ行くのですが、虐殺はされたくない。お互い心のかよった、裸の交わりのできる人のために死ねたら、たとえ殺されたにしても至福であろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2001年12月11日 12時40分06秒
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