熊本への旅(7)
「草枕」の道を往く熊本市河内地区での研修が終わったのは午後3時だった。選果場を出ると、もうタクシーが待っていた。これには少し説明が必要だろう。河内地区は10年程前に合併して、今は熊本市である。熊本駅から20kmほど離れており、金峰山の海側にある。我々は熊本駅に着いたとき、河内地区へ行くためにタクシーを拾った。その運転手さんは、我々の行き先を聞くと、すぐに帰りのタクシーの心配をしてくれたのだ。研修の終了時間がわかれば、車を回しておくという。だいたいの時間しかわからないと言うと、1時間くらいなら待つというのだ。タクシー業界も不景気らしい。選果場へ行く時は海岸沿いの道を通ったために、ほとんど河内地区のミカン園を見ていない。そこで、帰りは山道を走ってもらいミカン園を見ようということになった。「峠の茶屋」は、その山道に偶然あったのだ。私が初めて夏目漱石の文章に出会ったのは小学生の頃だ。児童文学シリーズか何かで「坊ちゃん」と「我輩は猫である」が一冊になっていた。そのときはただ面白かったというだけで特別な感激はなかったように思う。本当に夏目漱石の文章にのめり込んだのは25歳の時だった。1年間のアメリカ合衆国滞在から帰国した時、私が感じたのは、「日本は何と貧しい国だ」ということだった。当時は物質面の比較においては圧倒的に合衆国が日本に勝っていた。農業分野では広大な面積で合理的な経営をしている合衆国、自家用車が一家に2台ある合衆国、高速道路は全線無料のフリーウェイが網の目のように張り巡らされている合衆国、広い庭と空調施設の完備された家が安い値段で買える合衆国、ショッピングセンターの食料品は豊富で、しかも安い合衆国、・・・・ふり返って日本はといえば、小さな面積でこせこせとやる農業、高速道路は東京~大阪間だけ、公団アパートの狭い家、オイルショック後の安い賃金と毎年上がる物価・・・・という状況だった。これはちょうど、今の日本と中国の関係にあてはまる。自分は本当にこんな日本で一生を過ごしていくのだろうか?合衆国に対するコンプレックスを乗り越えられるのだろうか?・・・・将来への不安が心の中に渦巻いていた。そんな時ふとしたきっかけで読んだのが夏目漱石の「こころ」だった。そのときの感動は今も忘れることができない。自分の探していた答えが、それこそものの見事にその文章の中に詰まっていた。西洋文明に比べて決して劣ることにない、いやむしろ誇るべき日本のこまやかな心遣いの文化、東洋思想の深さ、謙譲や謙遜の美・・・・乾いた砂に水が染み込むとは、このような状況をいうのだろう。それから夏目漱石の本を全て読み尽くしたのはいうまでもない。そして読み終わったとき、自分の中に、それこそおぼろげではあったが、日本人である誇りと日本で生きる自信が生まれたのだった。(つづく)