カテゴリ:生きる
今年は平成20年。 ”平成の小渕!”と異名をとった故小渕首相が官房長官のときに 半紙に「平成」と書かれた文字がいまでも印象に残っているが 今年で「平成」も成人式を迎える。 この20年の間、日本という国は、どういう方向に歩んできたのだろう。 + 昨日の午後、TVのインタビュー番組に俳優小沢昭一さんがゲストとして出演されていた。 俳優、エッセイストでもあり川柳、俳句は「変哲」という名もお持ちで 人間的にも粋でユーモアとペーソスが感じられる魅力ある語り口の小沢昭一さんの 洒落っ気のあるお話は、 ”ずーっと聴いていたい・・” ・・と、思うほどイイ!!素晴らしい!!! + このインタビュー番組より、聞きかじりを記すと・・ 小沢さんは、昭和4年、東京蒲田の地で写真館を営む家に生まれ育ちました。 昭和の戦前時代の日本に子ども時代を過ごしたことは とても恵まれていて、いい時代だったそうだ。 しばらくすると日本は、第二次世界大戦に巻き込まれ、戦争がはじまった。 高校進学を考えたとき、 周りの大人から ”戦争に兵士で行くと毎日、上官からひっぱたかれる”と、聴かされ ”。。なら、僕はひっぱたかれるのはイヤだから、ひっぱたく方になろう!” と、決め、海軍兵学校に入学。 入ったその年に日本はアメリカに敗戦し、日本の戦後が始まった。 ある日、板橋に銭湯ができた!、という話を聞き、電車に乗り、銭湯へ行った。 帰り、池袋の駅を降り、洗面器をぶら下げ歩いていると 若いアメリカ兵3人のうち一人が小沢少年の足をひっかけ、転ばせた。 その瞬間、残り二人が小沢少年を紙ひこうきのように投げ飛ばし、 小沢少年はコンクリートの地面にたたきつけられ、口は血だらけ、 歯が全部抜けてしまう事件に遭った。 戦後60年経ったいまでも ”僕とアメリカの講和条約は結ばれていない!!” と、語られていた。 平成20年の世をどう思いますか? の問いに 小沢さんはこう話されていた。 ”あのさ・・今のままで行け どうせダメなんだから・・ 一遍、ダメになったほうがいいんじゃない。。? ダメになってまたはじめからやりなおす・・ 100年かけてダメになったきた世の中を100年かけて前に戻せば。” ”僕はね、民主主義にもじって「貧主主義」がいいなぁ・・と思ってるの。 経済大国なんていって、大量生産してまた大量消費を啓蒙するような そんな国なんて魅力ないと思うなぁ。 ちょっと足りないくらいのほうがいい世の中になると思うんだなぁ。” + 小沢さんは、ハーモニカの名手でもあって 戦後、流行した「丘を越えて」♪をハーモニカで吹いた後 ”遥か希望の丘を越~えて~♪” 希望の丘を越えた後には・・ そう感じさせてくださったお話でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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