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2004年05月30日
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カテゴリ:books, movies
やあやあ久し振り!、突然ですが、野球はあまり好きじゃないですか?私はねズッとラグビーばっかりで、でもラグビーはルールが難しいとかであんま喜ばれないじゃないすか。だから日は野球を見に行きましょうよ。

しかも学生野球。良い天気だし、神宮球場に行って見ましょうよ。今日は早慶戦でしょう。ふふふふ学生の気分で。別に出身が早慶に関係なくてもいいじゃないすか。バーチャルなんだし(笑)。あ、ここ空いてる!ハイこれ飲み物とおつまみ。おおおお、応援団力入ってますね~。見てくださいあの学ラン。動きターミネータみたいですよ。花の応援団を思い出すなあ。え?古い?

学生野球ってのは応援が良いんですよ。一体感ね。紙帽子かぶって。プロ野球でもいいんだけど、どうも熱狂的すぎる。学生野球のこの生温い感じね。ガンバレ~!おお、そうだそうだチャンスには立ち上がって応援歌うたったりする訳ですよ。来た来た。さあ立って立って!

へへへ、皆と一緒に声張り上げるってのも良いでしょ。夏木洋介や中村雅俊の学園ドラマみたいで懐かしい感じだなあ。あ、シラケたりするのなしね。バーチャルだからもともと(笑)。我が母校の応援ですよ。にっくき敵をここで叩きのめして優勝って訳です。応援にも気が入るじゃないすか!さあ!

え?おー、チアガールね。こないだもニュースでやってましたよ。高校生がアメリカの大会で優勝したとか。知ってます?日本で初めてのチアガールは早慶戦の慶応らしいすね。応援部が秘密兵器で特訓して、昭和35年だそうです。へへえ、ミニスカートの女の子が出てきた時は、そりゃ大騒ぎだったらしいですよ。早稲田は野次で、慶応は大喜びで。だから昔から軟派だって言われるんだよね~慶応は(笑)。

ハイハイ、七回の攻撃ね。さあ立って立って。ほら学ランの応援部が口上申し上げてる(笑)。

「我々はー!今日は勝つためにここにやって来たー!」「そうだー!」
「今まで奴らが点を入れるのを許してきたのは我々が慈悲深いからだー!」「そうだー!」
「しかし今こそここで我らが力を思い知らせる時だー!」「そうだー!」

はい大太鼓がドンドン始まりましたよ。右手を空に掲げて準備準備

「ソレーッ!」

『早稲田大学校歌』相馬御風作詞 東儀鉄笛作曲

都の西北 早稲田の森に
聳(そび)ゆる甍は われらが母校
われらが日ごろの 抱負を知るや
進取の精神 学の独立
現世を忘れぬ 久遠(くおん)の理想
輝くわれらが 行手を見よや
わせだ わせだ わせだ わせだ
わせだ わせだ わせだ


『若き血(慶応義塾大学応援歌)』堀内敬三作詞作曲

若き血に燃ゆる者 光輝(こうき)みてる我等
希望の明星仰ぎて此処に
勝利に進む我が力 常に新し
見よ精鋭の集う処
烈日の意気高らかに 遮る雲なきを
慶應 慶應 陸の王者 慶應

おおー!二塁打!今日はこっちが勝てそうだなあ。よーし終わったら新宿か銀座に繰り出して、生ビールをガーンと飲みに行きましょうか!おっ!よしっいいぞっ走れ走れー!

-.-.-.-.-.-.-.-.-.-.-.-.-.-.-.-.-.-.-.-.-.-.-.-.-.-.-.-.-.-.-.-.-.-.-.-.-.-.-.-..-.

昨日今日は野球の早慶戦です。先週読んでいたのが、昭和60年の早慶六連戦という奇跡的な話を書いた文庫本だったので、ちょっと気になっていたのであります。プロ野球もテレビもほぼなかった当時、早慶戦は大変な人気だったのですね。

(しかし昭和35年、6連戦ですよ6!優勝がかかっていたから余計白熱したらしいけど、慶応1勝、早稲田1勝、引き分け再試合、引き分け再試合、引き分け再試合、で最後の試合であります。凄くないすか?ちょっと尋常ではない(爆)。大きな理由はナイター設備がなかったんですね当時。で日没だと試合続行できない。)

野球にかこつけて酒飲んで大騒ぎとは平和な世の中ではありますが、そうゆうのを真剣にやっていると、それはそれでまたエネルギー漲る青春!ってな感じの楽しい話になるのでありますね。と同時に今の平和な球場を思うと、文庫本に載っていた『最後の早慶戦』にボロボロと泣いてしまったことを思い出した。

平和な今日と対照的に、時は太平洋戦争末期。野球など娯楽が禁止され学徒出陣が決まってしまって、最後の思い出にどうしても早慶戦を開こうとする学生達が、念願かなって最後の最後にやっと野球をすることができた場面であります。昭和18年、今からもう61年前であります。

以下抜粋

~「いや私は学生と一緒にいるのが楽しいのです。三塁側のスタンドに座らせてください。」

小泉塾長はそういって、駆けつけた早稲田の飛田と外岡部長に「晴天で良かったですね。」と挨拶し、三塁側の慶応スタンドに向かうと、コンクリートの上に古新聞を敷いて、そこにごく自然に座った。三塁側の塾生たちが熱烈な拍手で小泉塾長を迎えた。

…試合そのものは、選手たちが一時帰省してしまい、あまり練習をしていない慶応の大敗に終わった。毎日新聞が伝えている。

「好調の早大軍は伝統の打撃にものを言わせ、一回の1点先取に続いて…着々と戦果をあげる。慶応軍も必死に食い下がり、…つぎつぎと強打者を繰り出したが、追撃戦も及ばず、結局10-1で凱歌は早大にあがった。」

 結果は問題ではなかった。早慶両校の選手たちは懸命にプレーし、応援学生たちは校歌、応援歌を力の限り歌い合った。誰の胸にも、避けられない出陣の悲壮感と、これが最後の早慶戦になるだろう、という断腸の思いが交錯していた。

 試合が終わると、一塁側の早稲田応援団から「ガンバレ~、ガンバレ~、慶~応~!」の大声援が湧き起こった。三塁側の慶応の学生たちが立ち上がり、全員帽子をふって、「ありがとう!ありがとう!」と応えている。

 そして次は慶応側から「ガンバレ~、ガンバレ~、早~稲~田~!」の声、そして早慶両校の選手と二万人の学生が一緒になって『都の西北』と『若き血』を高らかに歌い合った。

…やがてどこからともなく湧き上がった『海ゆかば』のメロディー。…厳粛な歌声はやがて全員の大合唱となってスタンドに響きわたり、戸塚球場を包んで早稲田の森にこだました。

…両校主将の阪井も笠原も、強打者の別当も、みんなが泣いていた。応援席の学生たちの頬からも熱い涙がボロボロとこぼれ落ちた。もう早稲田も慶応もなかった。すべて明日の命をも知れない戦友なのである。

…早慶戦から五日後の十月二十一日、雨の神宮外苑陸上競技場で出陣学徒の壮行会が実施された。…その中には『最後の早慶戦』で戦った選手たちや応援席にいた学生たちの姿があった。そしてそのまま『還らざる英霊』となった学徒たちも多かった。』

(以上、神宮の森の伝説/文春文庫より)

不平不満を言わず、逆に足ることを知り、毎日を一生懸命生きることこそ、命をなくしてしまった人々へに対する義務なのだ。とか何とかたま~に偉そうなことを言いたくなる、今日の晴れであります。しまった!野球からちょっと離れちゃったか(笑)。うーん宗教家になるかな(苦笑)。





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最終更新日  2004年05月30日 10時23分50秒
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