カテゴリ:BPD&PDD&ASDについて
長崎県佐世保市で2004年6月に起きた小6女児事件の加害少女(13)が、広汎性発達障害の一種「アスペルガー症候群」(以下AS)と診断されていたことが2006年1月16日に明らかになった。現在少女は収容先の児童自立支援施設「国立きぬ川学院」内で中学に進学した昨年春から、親代わりの職員や入所者と集団生活を送っている。少女は2004年9月、少年審判を受けて同施設に入所し、当初は鍵付きの個室で寝起きするなど個別対応を受けていたが、施設側が「集団生活に適応可能」と判断し、約半年後に集団対応に移行させた。少年審判で精神的な障害は認定されなかったが、2005年春ごろ、精神科医がASと診断した。専門家は「障害と事件は直接結び付くものではない」とみている。
こういった事件で必ずといってよい程、精神鑑定などが注目されるが、子どもに関しては、今後の人生を送る上でも、それが障害と判定されようがされまいが大事だと思われる。元来、人とコミュニケーションを取るのが苦手で、特定の物事に強い思い入れを示す子どもだったとして、それが精神的な障害と明らかになるかならないかで、子どもの人生は180度変わると思われる。それが早期に分かれば、その子どもに即した対応ができ、事件が起こらなかったかもしれない。つまりASやPDD、またはその傾向にある人=事件性という因果関係は、周囲の対応次第であり、二次的に引き起こされていると考えるのが筋だと思われる。最近では早期に対応することで、社会で生きていく上で個人と社会が円滑な関係を構築できることが臨床的にも明らかになってきている。私はこの事件は、いかに子どもを取り巻く環境を社会で支えていくかが大事であることを伝えていると思われる。それは、親にも得意不得意があり、親が子どもの個性に全てにおいて対応しきれないことが多くあることからも言える。簡単に挙げると、子どもが英語に興味を持っていて、その素振りや非言語コミュニケーションなどで伝えていたとしても、親が英語に興味を持った経験がなければ、その子どもの言動すら理解しづらく、子どもの興味が生かしきれない。そんなことだろう。子どもが化学に興味を抱き、独学で薬物について学習し、それが事件に結びついたとしたら、親が子どもの化学への興味に関心がなかったということになると言えるかも知れない。IT社会では、子ども自らが興味へ用意にアクセスすることが可能になった。まず、親が子どもに関心を抱く、そして子どもの興味に関心を抱き、それが例え親にとって興味がないことでも、それを社会によって子どもの能力を活かすことが可能である。しかし、まだまだ社会がそこまで豊かではないのかもしれない。親のみでは子を育てることは困難になってきている。子どもへの無関心が一番子どもを過った方向へ向かわせるのではないだろうか。身近な社会が良い意味で子どもに関心を抱く。これが一番の子育てなのかもしれない。 私の両親も私に関心を抱いていてくれたら、こんなことにはなぁ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Jan 31, 2006 04:19:11 AM
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