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2007年03月13日
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【カテドラルとバザール】

 マスコミ型の情報配信の形をカテドラル(伽藍)型式。インターネットをバザール(市場)型式と定義されることがある。


東財論_f05.gif


 カテドラルには、権威者たる情報発信者が存在し、集まった受信者たちに情報を伝達する。情報の流れは一方的であり、出版や放送をイメージできる。
 一方のバザールは、カテドラルの門前の市場である。情報発信者は複数存在するが、彼らは必ずしも権威者ではない。受信者たちも私語を禁じられていないから、対話が成立する。情報発信者が複数存在し、受信者たちもけっして孤立していない極めてインターネット的な世界である。

 この概念は、インターネットをオルタナティブ・メディア(既存メディアの対称物)と捉える文脈上にある。
既存型のカテドラルな情報伝達形態を補完する意味で、より自由なバザールな情報伝達形態が存在するのだ。

 だが、インターネットがオルタナティブ・メディアだったのは、ブログの普及前だ。ブログの登場により、カテドラルの中の発信者たちも対話を強いられるようになった。ブログ空間から沸き起こる対話の中から、アメリカの有名ニュースキャスターのダン・ラザーが降板するといった事象も起きた。

 いまもカテドラルの発信者が、カテドラルに集まった聴衆に一方的に情報を発信する状況は変わっていない。たが、バザールでの噂話がカテドラルの主たちの耳にも入る。その結果、カテドラルの発信者たちが言説を変えたり、発信する権利を失うことが起きている。
 そして、カテドラルの発信者に限らず、エスタブリッシュな発信者のほとんどは、ネット上の対話を拒絶する。


2007年においても、そのような現実を捨象し、「インターネットを対話型メディアである」と喧伝して恥じぬ者がいるが、彼らはスポンサー企業の短期的な利益しか考えぬエバンジェリスト(業界語用論者)に過ぎぬ。

長期的企業戦略に立てば、メイカーフレンドリーな方針は必ず挫折し、ユーザーフレンドリーな方針が実を結ぶに決まっているのだから、彼らの言説は参考には及ばない。


追記:

ダン・ラザーの一件は、発生当時においては、ブロガーが巨大メディアに勝利したことを示していた。だが、だが、巨大メディアNBCが行なったのは、トカゲの尻尾切りにすぎない。
ブロガーは、アンカーマン個人には勝利したのかもしれぬが、それにより報道体制が見直されたわけではないだろう。

報道機関の責任などといわれるが、その実体は、実態解明であり、原状復帰であり、再発防止であり、賠償金の支払いである。その尺度に照らし合わせれば、ダン・ラザーの降板が、報道機関の責任とはまったく関係がない、臭いものには蓋的な行為であることを理解していただけるだろう。

ダン・ラザーはスケープゴートにされたにすぎないのだ。






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Last updated  2007年03月13日 07時30分06秒
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