武田家二代の野望(118)
この小説は本日をもちまして終了いたしました、ご愛読を感謝いたします。「勝頼、余を起こせ」 「ご無理は禁物です」 「もう良いのじゃ」 信玄は勝頼に寄りかかり、一座に視線を廻した。「直ぐに別れの時が参ろう、名残り惜しいが仕方があるまい。皆々、勝頼がこと頼むぞ」 「畏まってございます」 全員が平伏した。「・・・さて、余が死んだのちは三年の間、喪を伏せよ。余の亡き間に武田を万全な体制にいたすのじゃ」 「何ゆえに父上の喪を隠しまする」「勝頼、余は天下に恐れられた男じゃ、それ故に余の死が洩れたら叛く者も現れよう。それを恐れるためじゃ」 勝頼を諭すように語りかけた。 最早、信玄は一人の父親として語りかけているのだ。「父上、それがしは叛く者も恐れませぬ、天下を望む事も諦めませぬ」 勝頼が顔面を染め叫んだ。「困った倅じゃ、美濃や宿老たちに申し渡す。余の言葉に違背はならぬ」 信玄の声が凛として響き、勝頼が不平顔で黙した。「美濃、弾正、修理亮、三郎兵衛」 信玄が宿老の一人一人に声をかけ、「余の遺言じゃ」 死に行く者とは思われない眼光をみせ断じた。「ご違背は決していたしませぬ」 馬場美濃守が代表し首肯した。この一言から彼等の悲劇が始まるのであった、後年、長篠の合戦で彼等は鉄砲の餌食となって戦死するのであった。 これは信玄の跡を慕う自殺行為そのものであった。「これで、思い残すことはない」 信玄の顔色が鉛色に変わり、冷汗が首筋を伝っている。馬場美濃守が信玄の躯をそっと寝かした。 御屋形の死で武田は終りかも知れぬ、そんな思いが脳裡を過ぎった。 天正元年四月十二日、駒場を囲む山並は眩しい新緑につつまれ、山桜が満開となっている。信玄の容態は誰の目からみても悪化していた。 宿老は信玄の枕頭を離れず、荒々しい呼吸を続ける主を見つめている。 独り勝頼だけが、違った思いで父の信玄を見つめているようだ。 天下に恐れられた武田信玄も、死すればただの男。瀕死の父と争った昨日の出来事を偲んでいるのかも知れない。 旗本の今井信昌が懸命に、信玄の流れる汗を拭っている。「夢じゃー」 信玄が突然、声を発した。「御屋形」 馬場美濃守が覗き込むように声をかけた。「父上・・・晴信をお赦し下され」 馬場美濃守と山県三郎兵衛が顔を見っめあった。御屋形は大殿の信虎さまに謝っておられるのだ。「上洛は晴信にとり夢にございました」 明瞭な信玄の声である。 一座の者は次ぎの言葉を待った。 「三郎兵衛、京に我が旗を立てよ」 山県三郎兵衛が次ぎの言葉を待ったが、再び信玄は声を発する事はなかった。医師の監物が脈を探り、「ご臨終にございまする」と悲痛な声をあげた。 こうして武田信玄は、波乱にとんだ五十三才の生涯を閉じたのだ。 夜の帳が落ち、駒場の本陣から荼毘の炎が燃え盛っている。「御屋形、・・・これで全てが無になりましたな」 駒場の本陣を臨む小高い丘に、編笠姿の老武士が草叢に座り落涙していた。 武田本陣の旗、指物が闇の中に翻り、見事な陣形で静まり返っている。 老武士が笠を脱いだ、隻眼で老醜の顔が闇に浮かびあがった。それは年老いた山本勘助の姿であった。「まさか、御屋形が勘助より先に亡くなられるとは・・・慙愧に耐えませぬ。大殿に御屋形の死をお知らせに参りまする、さぞ、無念に思われましょう。それが済みましたら、勘助もお跡を慕って参りまする」 みぎろぎもせず、隻眼で荼毘の炎を見つめていた勘助が立ち上がった。 ひと際、炎が高くたち昇った、勘助が肩を揺すって闇に姿を没した。 信虎は信玄の上洛の軍旅を知るとお弓を伴い、信濃の伊那郡に移り住み、信玄の死去を知り落胆の日々を過ごし、翌年の二月三日に、その地で没した。享年、八十一才であった。 山本勘助とお弓が、何処で生涯を終えたのかは不明である。 信玄の葬儀は遺言どおり三年後の天正四年四月十六日、恵林寺でとり行われた。併し、この葬儀には前年の五月に起こった、長篠合戦により高坂弾正をのぞき、馬場美濃守、内藤修理亮、山県昌景の三人は鬼籍に入り、葬儀に出席する事はなかった。この六年後に武田勝頼と武田一族は信長に破れ、甲斐の田野で自害し、武田家は滅亡するのであった。 因みに「恵林寺殿機山玄公大居士」 これが信玄の諡号(しごう)である。 (完) 武田家二代の野望(1)へ