カテゴリ:Suiko108 クロニクル
北宋時代、梁山泊に集まった好漢たちの物語は、はじめから今の「水滸伝」の形をとっていたわけではありません。 『宋江三十六人賛』は、『水滸伝』の誕生に先駆けて、南宋時代(1127~1279)に書かれた宋江ら三十六人の仲間を讃える文章です。もともとは画がついた“画賛”でしたが、画は散逸して、今では文章だけが残っています。 古文なので訳すのは大変に難しいのですが、一人ずつ紹介していきましょう。南宋時代の梁山泊にはどんなメンバーがいたのか、そして、彼らはどのような人物としてイメージされていたのでしょう。 ※訳文はあくまで素人の推測・想像です。多少とも合っているのかどうか、まったく分かりません。識者のご教授をお待ちしています! 活閻羅阮小七; 地下閻羅(地下の閻羅) 追魂撮魄(魂を追い、魄を攝る) 今其活矣(今、その活きるや) 名喝太伯(名は喝す太伯) 「地下の閻魔は、魂を追い、魄を攝(と)る、今、その活きたるや、名は太伯と喝す」 水滸伝では第三十一位、阮兄弟の末弟である“活閻羅”阮小七が、なんと第五位に登場です。いったいなぜ……? 文章の意味をSUIKO108的に超訳(?)してみると、 「冥府においでの閻魔大王は、人間の魂魄をあの世に連れていく恐ろしいお方。今、この世にも“活きた閻魔”と呼ばれる物騒な男がいるが、そいつはまたの名を“大兄貴”と呼ばれているのだ」 ※こんな感じでしょうか? あだ名の“活閻羅”(この世の閻魔)は同じですね。いずれの阮小七も、気に食わない奴を容赦なくあの世に送る、物騒な男だったのでしょう。ところで、“太伯”とは、普通「長男」のことを云うのですが……なんと、阮小七はもともと阮氏三雄の長男だったのでしょうか? それとも三兄弟中でもっ とも剣呑な男だったため、みなに「アニキ」と呼ばれて、兄弟順を無視して上位に配置されたのでしょうか。水滸伝でも三兄弟中一番“使える”男・阮小七ですが──謎は深まります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007年09月12日 02時21分25秒
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