カテゴリ:Suiko108 クロニクル
北宋時代、梁山泊に集まった好漢たちの物語は、はじめから今の「水滸伝」の形をとっていたわけではありません。
『宋江三十六人賛』は、『水滸伝』の誕生に先駆けて、南宋時代(1127~1279)に書かれた宋江ら三十六人の仲間を讃える文章です。もともとは画がついた“画賛”でしたが、画は散逸して、今では文章だけが残っています。 古文なので訳すのは大変に難しいのですが、一人ずつ紹介していきましょう。南宋時代の梁山泊にはどんなメンバーがいたのか、そして、彼らはどのような人物としてイメージされていたのでしょう。 ※訳文はあくまで素人の推測・想像です。多少とも合っているのかどうか、まったく分かりません。識者のご教授をお待ちしています! 没羽箭張清; 箭以羽行(箭は羽を以って行く) 破敵無頗(敵を破るに頗り無し) 七札難穿(七札は穿ち難し) 如游斜何(游ぐ如く斜め何) 「箭は羽を以って行くも、敵を破るに頗ること無し。七札は穿ち難しも、游ぐ如く斜なり」 水滸伝では第十六位の“没羽箭”張清が第七位、なかなかいい位置についていますね。しかし、今回の賛もちょっと疑問が……。またしても想像力を駆使して、無理やり文章の意味をSUIKO108的にこじつけ(?)てみると……、 「矢というものは羽があるからこそ飛ぶのだが、張将軍の矢には羽がない。それなのに敵を打ち破るのに失敗することがない。七枚重ねの甲は簡単には穿てないのに、それを貫くことまるで斜めに泳ぐようではないか」 最後の「如游斜何」が問題です。「游」には泳ぐ、飛ぶ、遊ぶなどの意味があります。とりあえず泳ぐにして……斜めに泳ぐ? 「何」には疑問の意味がありますが、ここでは合わないかも? もし「何」が「河」(読みも同じ“he”)の間違いなら「河を斜めに横切るように簡単に貫いてしまう」とも読めるかもしれません(河を泳いで横切る時は、真っ直ぐではなく斜めに泳いで渡るものです)。 とりあえず細部は保留にしても、張清のあだ名は最初から“没羽箭”、武器もやはり“羽なき矢”──礫だったのでしょう。礫を投げて百発百中、クールに敵を倒していく張清のイメージはずっと一貫していたようですね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008年01月05日 11時14分10秒
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