青森での講演を終えて
昨年の11月28日、青森県の『臨時教職員問題の集い』で、「どうして、臨時教員を続けるのか?」と言うテーマで講演を依頼されました。 話の柱立ては、1、「どうして教師になったの?」2、「どうして生活保護を受けてまで教師にこだわるの?」3、「教師への思いと教育現場での矛盾」4「生活保護を受給するまでの状況と受給するまでの経過」5「今後の願いとそのための状況」というものです。 テーマについては、主催者の要請で決まっていたのですが、人前の慣れない講演だったので淡々と原稿を棒読みする形になってしまいました。また、話の順番も間違え、しかも時間も予定より30分も早く終わってしまうなど散々な状態でした。聞いていた方にも「それで何が言いたかったの?」という感じだったと言われました。講演のときは固くなっていた私でしたが、その後の質問の時間では、リラックスでき講演のときより言いたい事が安心して言えました。 講演が終わり、正規の方に「非常勤の方の気持ちは、職場の皆と一緒に頑張りたいのですね。私は、臨採の方には、良かれと思って時間がきたら帰った方がいいといったりしますが・・・。今日の話で、臨時・非常勤の方の気持ちがわかったような気がしました。」と感謝されました。また、他の正規の方には、「教師として子どもといる一瞬一瞬を大切にしたい。」という私の発言に対して「その言葉を聞いてエネルギーをもらった」と言われました。 その方は、「日々の教育実践に行き詰まりを感じていて、今日の私の話を聞いて自分も又頑張ろうと思えた。」と言っていました。私は、改めて、多くの方々に、臨時、非常勤の思いや実態を話すことの大切さを感じました。 その後、交流会が、別の部屋で持たれました。話を聞いた方々が、それぞれの思いや感想などを話してくれました。その時に出された感想の一部です。* 私は、7年間高校で臨時教員として働き今は結婚して子どもが生まれたので年間16日勤務の非常勤として働いている。講演を聞いて共感と親しみを感じた。今まで限られた時間の中で、自分の仕事を限定して考えていたが、もっと自分でもやることがあるのではないかと思った。* 青森で非常勤をやっていたAさんは、回りの理解のなさや孤独感を感じていました。良い教育をするためには時間で区切られる非常勤の働き方ではなく、子どもの前にもっといるべきだし時間が必要だと言います。授業の用意もままならぬ状況で、子どもの前にたつ。与えられずにやっている、良い教育をする時間が与えられていないと感じる。教育にとってよくない。そのことをみんなで共有して、教育に責任をもつ立場で行政に対して要求していきたい。個人のレベルの問題ではなく教育とはどうあるべきかを皆で考えていく必要がある。* 臨時、非常勤について、その仕事ぶりの細かいことは分からないが、「教育現場で苦労されているな」と感じた。給料が違うことで、職場で人との関係が切られてしまうことが不幸。臨時、非常勤に対しては、仲間の支えが必要。人間関係が切られているなかで声かけすることが大切。労働組合は、そのような人に対して受け皿になっているのか。何のために働くのか、何のために教育するのか、語り合っていることはとても良いことだと思った。* 学校は何のためにあるのか?生徒のためのものなのか?教師という職業の位置づけや、教師という職業への思いを考えさせられました。教師とは何なのかもう一度考えてみたいと思います。* 私の知っている臨時の先生は、次のようなことを話してくれた。「今の職場では主任を任されている。責任があり、臨時でも正規の先生と同じように見られるところが嬉しい。職名に関係なく扱ってくれる。「臨時なのだから。本当の先生ではないのだからという言葉に傷つく。」と言っていた。私はつねに臨時の先生に対して、人として接したいと思っている。* T2として、どのようなスタンスでやっているのかが大切。例えば・T2として授業の導入は任せてもらうというような部分的なエキスパートになるのも大切なのではないか? 他にも、色々と個人的な問題についてのアドバイスなどもあり大変に充実した交流会であったと思います。気軽に自分の悩みや想いが語れる場所があることのありがたさを感じました。正規の先生が多かったのですが、私達、臨時非常勤の思いを自分のことのように真剣に考え受け止めてくれたことはとても嬉しく思いました。臨時・正規の壁を超え、共にこのような豊かな時間をもてると良いと感じました。