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テーマ:私の国立物語(3)
カテゴリ:日々の出来事
お待ちかね、「私の国立物語」第2話のはじまりはじまり~~~!(*^_^*)
福生から国立に移り住んだ私は、しばらくブラブラした後、渋谷方面の会社で働くことになりました。仕事の内容は、インテリア装飾関係の営業です。 当時は、女性の営業は珍しくてすごく可愛がってももらえました。 でも、2年後、心と身体のバランスを崩してしまい、やむなく退職。 またまた国立の街に心が舞い戻ってきました。 営業時代に知り合った方の会社が国立にあったので、うちに来ないか?という話もあったのですが、その頃はとにかく、何も仕事が出来ない精神状態だったので、悩んだすえお断りしてしまいました。 さて・・・・・ 仕事をやめて、毎日が日曜日だった私は、何か面白い事を始めようと思いました。 そして最初に考え付いたのが、国立の大学通りの広い歩道を利用したバザールの企画でした。 お客を呼ぶために、ガリ版刷り(懐かしいでしょ?)でビラを作ってあちこちに配りました。 街で知り合った友人知人たちに声をかけて、手づくりのお菓子や小物、日常の不用品など、さまざまな物を集めて、大学通りの一橋大学沿いの道端に並べると、通りかかったたくさんの人々が興味深そうにのぞいてくれました。 日曜ごとの「大学通りバザール」はだんだん知られるようになり、次第にいろんな人がお店を出すようになりました。 「大学通りバザール」は、1年後には市民祭の企画として取り上げられ、市民をあげてのイベントとなりました。(今でもやってるのかな?) 市民祭の企画は、市民の有志が集まって行なわれ、私も呼ばれて参加していました。皆で街を作っていくのは楽しいな、と思いました。 そこには老人から若者まで、そして障害のある人もない人も、一緒に参加していました。 街の文化を創っていく、という意識を持つ人々がたくさんいるのが国立の街の良さだと思いました。 最近の多くのニュータウンは、大企業の開発事業によって作られた街が多いので、最初は人も羨むようなステキな街としてデビューしますが、10年20年と経つうちに高齢化が進んで活気を失った街になってしまう、という現象が起こります。(ちなみに多摩ニュータウンの高齢化現象が問題になっているそうです) ニュータウンは、とかく一つの世代だけに偏った住民層になりがちだと思います。 若い世代ばかりが住む街は、一時期は繁栄しますが、その世代が高齢化した時には周囲すべてが老人ばかり、、、次の世代がいないということになってしまいます。 老人から子どもまで、幅広い世代が共存共栄してこそ、街らしい街だと思います。 さて、大学通りバザールのほかに、私の面白体験のひとつは、画家の先生との出会いです。 公民館で行なわれていた市民講座の絵画教室に通ったんですが、その講師の先生が風変わりなおじいちゃん画家で、アトリエに遊びに行くと、いったいいつの時代の家だろう?と思うような、ものすごいあばら家でした。。。。。 アトリエの中にはたくさんのカンバスやら書やら造形物などが置かれてあり、私には不思議な異次元空間でした。 ある時、先生が舞台背景の絵を描くというので、お手伝いにはせ参じたことがありました。 ステージバックに飾られる大きな絵を、ものすごいスピードで描いていくのです。 真っ白なキャンバスは、わずか数時間で幽玄な水墨画風山河の風景に変わっていきました。まさに職人芸。。。。。(゜o゜)お手伝いといっても、私は何の役にもたたなかったんですが・・・・。 そして、もう1人の出会いは、小説家のR.O先生が4畳半の風呂なし共同トイレの私の部屋の隣にお忍びで引っ越してきたこと。 毎日暇そうに遊んでいる(笑)私は、先生に「君、原稿の清書のバイトしないか?」と声をかけられました。 仕事しないとそろそろ生活が危なくなってきた私は、渡りに船で快諾\(^o^)/ TVのサスペンスドラマの原作を書いていて、そこそこ売れていた先生は、1冊の自著を渡して、「それじゃあ、これを読んでおきなさい」と私に言いました。 当時は、ワープロとかパソコンなどがない時代だったので、作家はすべて原稿用紙に手書きだったわけです。でも先生の字は、編集者に判読不能な暗号のような文字なので、清書してくれるアシスタントを探していたそうです。 さて、さっそく先生からの原稿が、次々と届きました、が、想像したとおり、ミミズがのたくったような字でした・・・・(~_~;) でも、だんだん慣れると、暗号の解読(笑)も上手になり、何とかうまく清書できるようになりました。 先生にも気に入ってもらえ、専属のアシスタントにならないかと言われましたが、そうなると自分の時間が束縛されてしまいそうなので、丁重にお断りしました。 でも、今思えば、あの先生について修行していれば、今頃、私は小説家になっていたかもしれないな、と思います。もともと文章書くのは好きだったから。。。 でも、その頃は、そこまで志が高くなかったんですね。。。。(^_^;) もう1人忘れてはならない人がいました。 その当時「チベット死者の書」で、一躍有名になったおおえまさのりさんが、私のアパートの近所に住んでいました。 おおえさんの自宅は、ヨーロッパ風の白いステキなお家でしたが、そこは若者達の集まる溜まり場のような所でした。 家の入り口には「オウムファンデーション」という看板がかかっていました。 注・オウム真理教とは何の関係もありませんよ。念のため(笑) チベット仏教を研究している先生は、自分の家を若い人が集うお寺のような感じにして開放していました。 そこには全国から、先生を慕って、たくさんの若者が集まってきていました。 おおえさんの著書の影響で、私もチベット仏教に興味を持つようになりました。 「死者の書」の次に出した「ミラレパ」という自費出版本は、実在した(らしい?)インドの伝説の聖者の話です。 ミラレパは富豪の息子でしたが、父親が死に、叔父に財産を騙し取られて、残された母子は街を追い出されてしまいます。 母親は憎い義弟に復讐するために、ミラレパを超能力者の下で修行させました。 ものすごい超能力を身につけたミラレパは、いよいよ憎い叔父に復讐するために故郷に帰ってきました。 彼は、身につけた魔力を使って叔父の住む街に嵐を呼び起こし、街は壊滅状態、多くの人々が死にました。 ハッと我に帰ったミラレパは、自分の復讐のために罪のないたくさんの人々までを殺してしまったことに気付き、自分の行いを恥じました。 何かこのあたり、9.11の報復のためにアフガニスタンを空爆したアメリカに似ていませんか?。。。でも、ブッシュは全然反省しなかったですけどね(-_-;) 自分の罪を悔いたミラレパは、今度は罪を償うために人々を救う道に入る決心をしました。そして、多くの人に尊敬されている有名な聖者の下で修行するようになりました。 しかし、その師は、ミラレパをまるで無視し、彼だけ他の弟子と差別し、部屋の中にも入れてくれませんでした。 でも、自分は大罪を犯したのだからと、その仕打ちに耐え、黙々と修行を続けました。 ところが何年もたったある日、突然、彼は師から呼ばれました。 師は「私は、お前には一番、目をかけていた。今までの仕打ちは、お前の犯した罪を浄化させるために必要なことだった。これまで良く耐えて来た。お前の罪はすべて消えた。これからは聖なる者として生き、多くの人々を救っていくように」。。。。。と言うのでした。 こうしてミラレパは、師の継承者としてすべてを受け継ぎ、そして多くの人々から尊敬される聖者として名を残したのだそうです。 これは、どんなに大きな罪を犯しても、人はその罪を悔い改める事によって、新たに生まれ変わることができるというお伽話かもしれません。 これは、インドのほうの伝説だそうで、おおえさんが訳して出版したものです。 このようなお話に、魂が揺さぶられていた20代の頃の私でした。(*^_^*) 今回は、国立で出会った人々のお話でした。 ちなみに、今のダンナとも、この頃の国立で出会いました。。。ま、どうでもいいんですが(笑) その話は、またいつか・・・・・・(^o^)丿 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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