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★No020026 青き頃の大罪(後篇)

☆☆☆白木蓮の如き君なりき (消した空白の人生年表 探し旅)☆☆☆


白馬 千国街道
1970年代に車で富山帰省の際に利用した長野松本から新潟日本海側に抜ける街道のこと。


千国街道(ちくにかいどう)はその昔、塩の道と呼ばれ日本海から内陸地まで塩が運ばれた古道である。

関越道や信越道は全線開通したのは1986年(昭和60年)で車帰省する場合は・・・
千葉県(京葉道路)⇒東京都(首都高速道路~中央高速道路)⇒山梨県(国道道20号 大月~韮崎~諏訪)⇒長野県(松本経由 千国街道147号)⇒新潟県(大町~白馬~姫川~糸魚川)⇒と走り抜けて漸く日本海側に出る。⇒富山県(国道8号 親不知~黒部)入り。

今日では高速道路に乗れば5時間ほどの道のりも当時は一都四県を連なる片道460km /10時間 車利用は時間に余裕がないと行けない時代の話である。

正確には覚えてないが15年間で帰省10回/10往復していると思う。







 知り得てから二ヶ月、友等にアドバイスを受けて二ヶ月、
四ヶ月もグダグダと悩み抜き先頃、四十年振りに白馬千石街道を使い腹を括り糸魚川に出掛けた。



目指すは日本海(糸魚川市街)数キロ手前の大野と言う小さな集落。半世紀ほど前にその人が嫁いだ家屋敷がある。

高速道路(関越自動車道~北陸自動車道)がまだ開通してない頃で、帰郷は車でいつもこの国道148号線(千国街道)を通ってた。
街道は姫川を沿う様にあり、偶然にもその途中にその人の家屋敷があった。
家屋敷は道路傍にあり、丁度赤信号で停車してるとカーナビの ”目的地に到着しました” の声に驚き青信号に変わるもアクセルを踏めなかった。

玄関に出てきたのは元ご主人らしき人。最初は如何わしい勧誘者と思われた様で そっけない態度…
用件と訳を話したらその人が眠る場所(地域共同墓地)を教えてくれた。
もし敷地内に墓があったら、参り終えても直ぐに立ち去る事も、故人との間柄等も上手く話せなくて困ったと思う。
常識的に赤の他人が亡くなって、数十年も経って後に故人への墓参りなどはしないもの。誰しもが ”どう言う間柄?” 疑うだろう。
そう言う意味で要らぬ波風を立てずに済んだと、ホッと胸を撫で下ろした。








 白馬の山並みと瑪瑙(めのう)石が取れることで知られる姫川の自然に囲まれ、塩の道から少し脇道(市道)を下ったところ。
塩の道が常道としていた時代からこの地にあるのか、苔むした墓石が二十基ほどある集落共同墓地は直ぐに見つかった。

墓石や墓誌を一周 見てまわる。すると入り口直ぐの左側に、他とは違う白っぽくて近年に建立された様な墓石が一基あった。
墓石の側面を見たら…
記憶から消した三文字の俗名が彫り込まれていた。間違いじゃなかった…
自分の目で見ない限りは信じたくもなかったが、辛い現実を突きつけられた。

誕生日さえ思い出せず 時を経て 命日を知る現実…
献花台に花束を供え、墓石に左手を添えて 右手を胸に当て、これまでの大罪を心から詫びる。

人生で初めて出会った 恋人と呼べる人。
いつの日かこの人と決めていたのに、つまらない自分の意地でそれぞれ違う人生路を歩くことになってしまった。



引け腰になり 距離をおいた理由・・・
 ある時、週いち電話連絡の話の中で『あなたの高校の同級生N島さんとこっち(名古屋)で会った』
デートをした? それがジェラシーで? 前篇ではそう書いたが…それは保身な自分に都合のよい言い訳。
本当のことを言うと・・・

その人が名古屋から上京し再会した日の夜。安アパートで一組しかない寝具に包まりながら口にしたこと…
自分が今、思い描く二人のこの先あるだろう近未来の夢を話した。
故郷を捨て都会で自立できるようになるための礎ができるまで、暫くは付き合いは遠距離ままで続けたい…の様な内容を話した。

ところが…その人は これまで胸に秘め、抑えていた溢れそうな思いを口にした。
その内容は青い自分にはキャパを遥かに越えた とてもハードルの高いもので返事に困った。

『裕福な暮らしは望みません。なにも願いませんし 欲しがりません。
ひとつだけ願いを叶えて頂けるなら、あなたの傍においてください。お嫁さんにしてください。
もう離れているのは嫌です! このままでは また あなたが いなくなりそうで…』
と声をしゃくりあげながら泣いた。

これまでその人の言動にいつも驚かされたが…あまりにも純でストレートな重い告白に途惑った。

故郷を離れ 本家とのわだかまりや後ろめたさもあり、若干二十歳では二人の親達も心から祝ってくれないだろう。
一番困ったのは今春、名古屋に就職したばかりなのに、数ケ月で東京に引っ越しすることなど、故郷の両親に説得して納得させる勇気も根性などない自分だった。

結婚を誓った恋人等が一時的に同棲から始めるのは、今日では普通のライフスタイルだが、
当時はまだまだ認めらない時代背景があり、二人には都合の良い同棲も「駆け落ち」と揶揄された。
狭い田舎のこと。”甲斐性のない奴” ”けじめのない奴” と囃され 噂を立てられ
当事者生家は勿論のこと、親戚の間でも気まずい思いをさせることになる。
まだ青い自分は…気丈に思いのたけを口にした 女性の人生を背負い 守り続ける自信もなく、
ましてや昔の様な なりふり構わず駆け落ちしてまで突っ走ることも出来ない意気地なしだった。

その人がまだ知らぬ影ありの嫌な性格の自分。こんな優柔不断な奴に何故それほどまでに未来を託すのか…わからない。
もし本性が知れてしまったなら、今度はその人が自分の前から消えてしまいそうで怖かった。

困り果て、つい口走ったのが…
今のW生活(昼間就業、夜間学業)は 後二年間で終わる。終わった暁には東京に呼び寄せるからと 諭して名古屋に帰した。

勿論、嘘は言ってない。
自分も経験した故郷を離れて日も浅い頃に罹るホームシックになっていたのでは? 時が経てば冷静になり普通の恋人同士に戻れると思っていた。

その人にして見れば…これまでの三年間、見せかけ付き合いした前科者の自分。
また何年間も放って置かれてしまうのではと、不安な気持ちでの遠距離恋愛を続けるには、心の支えになる何かが欲しかったのではと思う…。
せめて誓いの指輪かネックレスでも渡せば良かったのに…、当時はそんな気遣いもできない男だった。
薄々、自分の心が試されていたことも感じていた。

”本当に生涯この人を守り 幸せにできるのか? この人で良いのか?” 迷いはなかったが、ただあまりにも一途過ぎる性格が怖かった。
何よりも心配したのは…自分のこと等ほとんど知らないはずなのその人。もし本当の自分を知った時、居なくなる様な気がして怖かった。
それ故にあの二股発言にすり替え、答えを先送りし22歳まで待ってと言ったただけ…。
もしあの時、何故にそう先を急ぐのか疑問に思い 問うていたら、また違う人生路も選べてたのかも知れない。それは飽くまでも結果論だから言えるのだろう。

ただただ、好きな人の前ではもう少し頼れる男になるための時間が欲しかった。そんなこと正直に言えばいいのに言えない愚かな自分だった。



間もなくして 学業も夏休みに入り
 予定もない自分に長期出張(青森)の仕事が回って来て、命を受け東京を離れた。
慣れない初出張とどうでもいい意地で 週いちの電話連絡はしなかった。
これまで一度も切らしとこのない電話連絡。心配したその人は初めて自分の勤め先に電話をかけてきた。

「彼は出張中でおらず、戻ったら連絡させる。」
上司はその様な応対をしてメモを残してくれた。

単に近況を伝えるだけでいいのに、まだモヤモヤしていて・・・
出張から戻りデスクの伝言メモを見て、受話器は取ったものの ダイヤルを回すのに躊躇した。

しかし、決して その人から心が離れた訳ではない。来秋には今度こそは自分から名古屋に迎えに行くつもりでいた。


季節は秋、冬~そして再び秋と巡り
 秋風が吹き出した頃には、大意のないW生活(夜学)も終え、漸く二十二歳になる。
意を決し名古屋に電話をかけた。が…しかし、電話口にその人は出ることはなかった。
前月、会社を辞めて故郷に帰ってしまっていて、退職理由は教えて貰えなかった。

一途なまでに自分に向いていたその人が離れてしまうなんて…。あの一年間に何があったのか?
「W生活が終えるまで待つ」って二人で誓ったのに…何がその人の身の上に起きたのかだろう。
何かの都合で故郷に帰ったのか…また連絡があるかもしれない と言う安易な考えでいた。
この時、直ぐにでも連絡をとっていたら まだ間に合っていたかもしれない。


忙しさにかまけ時は流れ
 年の瀬も迫った12月。
再び長期出張(九州対馬)に出て、歳暮れに戻ると
郵便受けに不在通知が入っており、再配達で受け取った「高校 同窓会名簿」でその人の ”名字変わり” を知る。

まだまだ社会に女性進出する時代ではなく、女の幸せは家庭にあり。まずは嫁ぐのが最優先 と言う古い風習の残る片田舎町のこと。
大人の都合で許婚(いいなずけ)や見合い婚は当たり前で、跡取りがない場合は血の繋がった親戚筋からの養子など当たり前。
現に自分も本家への養子縁組が嫌でこの町を離れた。

自ら好んで農家に入る嫁は恋愛婚でもない限りなく、殆どが見合い婚。
ある農家の婚礼での話。兄の婚礼のために故郷に帰り参加した弟。嫁さん見て驚いた。
その嫁はと言うのは…なんと中学や高校時代の同級生~そんな笑い話はざらにある。
(田舎じゃ同じ苗字は沢山あり、名前だけも解らない。屋号を知らない限り無理である)

二十歳過ぎ女性を見れば、お節介焼きのおばさんがどこぞかに見合い話を持って行く。
こうして恩義をして何かの見返りを期待してるのかもしれない。都会では考えられないことだ。

その人が逝ってしまった今は真意を知る術もなく、ただハッキリしているのは・・・
自分の優柔不断な性格のせいで その人の人生を変えさせてしまったと言うことだ。



所詮 恋愛に限り男は「保存型」で女は「上書き型」である。
何の形もなく確証もない二年先の約束…、出張後の連絡もなくて、
その人はこれまでの思いを総てリセットし、自分の居ない人生路を選んだのだろう。
その選択肢に何も反論できない。自分でさえ当時の自分は大嫌いだった。

切欠はその人から…初めての異性との交際。正直、最初はあまり乗り気ではなかった。だが知らず知らずの内に心はその人に支配されていってたのに…
気づくのに長い歳月を要し過ぎた。こうして 自分は ”二度目の人生岐路” で大きな間違いをしてしまった。





 墓石の角に置いた左手からは何にも伝わって来ない。目の前にいるはずの その人から気配すら 感じられない。
俗世界にいる自分の声など届くはずもなく あなたは誰!
友等が言う様に 女心も知らない間抜けな男など疾うの昔に愛想を尽かされた のかもな。
それとも…今頃何しにこのこのとやって来たの?どんな言い訳しに現れたの? と無視か…。
長過ぎた六年間に見切りをつけられただけで、引きずって生きてきたのは自分だけと言うことなのだろう。


静寂で虚空な時間が流れ、ふと我に返ると川茂から吹く風が妙に冷たくもうすぐ冬が近いことに気づく。
豪雪で有名な十日町ほどではないにせよ 越後は白銀の季節は長い。
ひとりぽっちで深雪に埋もれ春を待つその人が、可哀想に思え 立ち去れない自分が居る。

ここに来る前に ご主人に嘘をついた。
亡くなった奥様とは同級生で出身高を言ったら、ご主人も同窓生と言ってた。
それも同じ科班の二年先輩。あまりの世間の狭さに驚く。後に同窓会名簿を見たらあった。何か複雑。
元彼だなんて言えるはずもなく、言えてるぐらいなら、今この場になんかいない。

もう少し自分の心に素直になれて、もう少し自信が持ててたなら…
そして優柔不断でなかったなら…、君を見てきたからこんなに早く死なせやしなかった。ごめん…

今更ながらだが…そう言うことしかできない自分いた。


一時間ほど居て 姫川の地を後にした。
帰りの道すがら、眼は真正面を見つつも、己れへの怒りと悔しさが 走馬灯の如く幾度となく、巡り巡り 頭の中を繰り回っていた。
心の負の思いは浄化されず 消えもせず、前にも増して溜まった気がした。


 その人が耐えた二年にも亘る闘病生活、少しだけ耳にした しがらみ話…
ショックだったのは ご主人等は亡きその人のことをぼやいていたことだ。
何処となく曰くありげな結婚生活…人にはいずれの日にか訪れる死。避ける術のない死。生まれた時からそこに向かい歩く…。
男は家族を養うことしかできないが、女は命を後世へ繋ぐ子や孫等の大きな存在である。
生前にも増して 尊び 敬い後世に語り継がれるべきものだと思う。

治療費返済が今も負担になってることを聞かされた。数千万にも及ぶ高額医療費!?
突然やって来た素性の知れぬ自分の様な者に、どうしてその様なことを愚痴るのか人間性を疑う…情けなかった。


 その人の人生は本当に幸せだったのだろうか・・・
本来ならば別れた恋人のその後の人生など知ろうとはしないもの。もし風の便りで訃報を知ったとしても墓参り等してはいけないものではなかろうか。
例え行ったとしてもそれは自己満足でしかなく、後の元恋人の人生路には自分の存在などなく、幸せだろうが不幸せだろうが知らない方が良いに決まっている。
自分なんかと一緒になったより、幸せな生涯を過ごした思えてたに違いない。
やはり糸魚川には来なければ良かった・・・
その様な人の元に嫁いだのかと思うと、自分の青き頃の罪が更に大きな罪に思えてしまい、悔いることしか術がなかった。




 松本まで辿り着くと何故か一刻も早く、この地から離れたくて高速道路に乗った。
ミラーに写る街路灯が前から後ろに流れ、近づいては消える単調な繰り返しの夜行運転。
長距離運転はいつもなら途中休憩は数回とるのだが、何故か眠くもまらず 疲れも出ない。

事故にも遭わず無事に戻れたのは、その人の 御加護 かも知れないと感じていた。
気の迷いと言われそうだが途中まで後部座席にその人が居た様な気がしてた。
墓前では何も感じれなかったのに…。



戻ってから 一日、また一日 経ち、何故だか解らないが無性にイラついた。
訳は自分が一番わかっていた。

また会いに行こう。
心でその人を感じられる様になるまで、いつの日にか 自分も変わりたい。
誰しもが普通に言う、『会いに来たよ』って笑顔で言える様に…。


消した己の人生年表の初め辺り。今更、繋ぐことも書き直すことも出来ない歳月。
幾年の時の流れを経ても尚、猛省の念が消えない 青き頃の大罪である。












                 後記

前篇、後篇に亘り とりとめのない長文に、お付き合い頂きありがとうございました m(__)m




 俗名「代志美」
 心の奥に閉じ込めていた
 15歳から21歳まで呼んでたその人の名前。
 これでこの件(青き頃の大罪)はお仕舞い。
 もうこのカテゴリでupすることはないだろう。
 万が一 upするとすれば「その人」ではなく
 俗名で書くことにする。





夏蝉の如く短く舞った人生の中で、もっとも美しく輝いた六年間を知る一人として、
もう目を覆うことも 逃げることも 名も伏せることも しないと決めた。

これから俺に残された人生で幾度の蝉時雨を聞けるかは解らないが…
その際は目はそむけず、耳も覆わず 少なき思い出を せめて集めて、愛おしむことにする。



振りかえればこれまで・・・

いつも精神的年齢差を感じながら歩いた歳月。代志美が大人で子供は俺。
突然 目の前に現れ、散々 振り回され 惑わされ 傍にある真心愛に気づきもせず、無駄に歳月を要し過ぎた。
今ならわかる代志美の一途な愛も、あの頃は…その愛が重過ぎて怖いとさえ感じて、引け腰になることもあった。
だが今年、あれほどまでに避けてきた糸魚川を訪ね、二年の長き闘病の末に 独りで逝ったことを知る。
数十年に亘り誤解したまま代志美を羨み恨み、存在そのものまで消し、己の心に仮面を被せ噓をついてきたことに恥じた。

あの時、出張から戻り直ぐに連絡をとっていれば…。よそに嫁ぐことを決めたのは代志美 自身だがその切欠を作ったのは俺。
どんな経緯があったにせよ身寄りもない姫川の地で眠ることは避けられたはず…
つまらない意地で一人の人生を変えてしまったことには変わりはない。

代志美から二度も告白させておきながら、人生路を左右する告白に返事をうやむやにした。流石に三度目はなく見切られた。
数年後、心が荒み 投げやりな心で持った家庭も長くは続かず崩壊…。人間失格の烙印を押されて知る優柔不断な性格…どうにかしなくちゃ と気づく愚か者。
遠回りな人生路を歩いていたのは…誰あろう 俺の方だった。情けない話だ。

これが北アルプス涼風の様に短い季節を吹き抜けて生きた女性 代志美を失い、永い時を経て漸く知る愚か者の戯言(たわごと)である。






 もし、「二度目の人生岐路」で違う選択肢をしていたら、未来の今はどう変わっていただろう。
 砂時計みたいに落ちた砂をひっくり返し、過去を未来にすり替えてやり直せたらどれだけ変われるのだろうか…。
 最悪のバツイチ人生は避けられたと思う。しかし、青き頃の大罪なしで嫌な性格におさらばできたかは 自信はない。
 これまで何かある度に傷つきたくなくて、立ち向かうことをせず逃げてばかりきた。
 そんな誤った人生路を選び 人の何倍もの遠回りをし、大切なものまでなくして漸く得たもの…
 優柔不断な心は捨てて、人の真心を素直に受け入れ、そして自分の意志も言える様になる。
 恥ずかしながら…縁あって良き伴侶(山の神さん)と巡り会い、残り少ない人生路を歩き始めた和みあるセカンドライフ。
 現在の穏やかなスローライフを過ごせているのは、この大罪がになってると振り返り思うこの頃である。

 今更ながらだが…自分に残された寿命で恩義は返せそうもないが、少しでも返せたらと思い、
 機会ある度に、詫びとお礼を伝えに 塩の道の傍で眠る代志美の墓標に立ち寄りたい。
 そして、願いを叶えてやれなかった詫びと、五万といる人の中で二人が巡り会えた奇跡への感謝を伝えたい。




不可解なこと・・・もし同じ あん世界で巡り会えたなら 今度は俺から声掛けし聞きたいことがいっぱいある。
出会い…入学、間もない頃、俺とはまったく関わりもないのに何処で俺の存在を知り? 生気も感じられない俺なんか選んだのか?
これからはいつも いつまでも傍に居たいって言ってくれたのに…あれは何だった? 嘘?
何故に鎌掛けしてまで俺の心を試し、約束の日まで待てず、知らぬ人に嫁いだ?
あれだけ積極的だったのに未来路に俺は居なかったのか?

そして、一番 問いたいこと・・・

代志自身の幸せを…誰かのためや、ましてや俺なんかのために自ら手放したんじゃないことを願う。
俺の優柔不断で煮え切らない態度に愛想を尽かし、代志の意志で別の人生路を選んだ。そうであってもらいたい。
その方が俺も残りの人生を迷うことなく歩け、少しは心の重荷も軽くなる。
今度 生まれて来たなら…俺みたいな奴なんかとは関わらず、生き急がずに穏やかな日々を幸せに暮らしてほしい…そう心から願う。





初デートの映画館で泣いたり、男ですらためらう 心のままのに行動するとか…
照れくさくてとても言えない思いのたけをストレートに口にして伝えるとか…
まるで男の様な性格な女性と思っていたが、それは俺の勘違いだったみたい。

逝ってしまってたことすら知らず、半世紀も経って姫川を訪れ漸く知った事柄をこれまで俺が知り得てる点と点を繋ぎ合わせ
おぼろ化に見えて来た真実に…気が狂いそうになった。
もしかしたら…代志は自身の人生年表の短いことを薄々気付いていたのじゃ?

あの頃のまだまだ青いふたりには、一番大事なことなのに 話してくれなかったのは…後に残される俺への優しさ?

だとしたら…俺なんかより、もっと重い十字架を背負い歩いてたんだな。
青くて 幼くて 口下手で ごめん、早く気付いて あげれなくて・・・ ごめん









                          = 2017.08.28 前編版 =
                          = 2017.11.03 後編版 =
                          = 2020.04.05 第一改訂版 =
                          = 2022.01.20 第二改訂版 =



blog簡略版⇒『告白 青き頃の大罪』2017.09.01 up
blog簡略版⇒『消した空白の人生年表 探し旅』2017.11.03 up
その後 二度目参りblog版⇒『一年ぶりに 古道 塩の道 を訪ねて』2018.11.02 up
その後 三度目参りblog版⇒『沢筋の残雪を眺めながら 古道 塩の道をゆく…』2022.06.06 up
その後 四度目参りblog版⇒『少し遅めのお盆参り 待つ人の元へ…』2023.09.04 up







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