カテゴリ:家庭
昔の田舎の家って開けっ放しが多かったものです 6畳二間と台所しかない家が多かったですね 少しお金持ちになると8畳×2 6畳×2 台所なんて家も もっと大きなお家もありました 下の写真は一般的な家より少し小さな家です 昭和30年代です
実は私の家です 台所は瓦になっていますね もっと前は杉皮でした 左から祖母、祖父、弟、母、そして一番右の黄色矢印の下が私です ギブスはしていません、5歳位かな? スコップで邪魔ですね
貧乏な家でしたね 6畳二間です この家は親父が隣町から買ってきて建てたそうです 右のさし掛けの台所は親父が作ったそうです この家で中学2年まで育ったのです この写真から間もなくして、祖父母は寝たきりになりました 母親の苦労は大変だったと思います 分家なのにね
私は半世紀以上前のこの写真の事覚えています 母親に叱られてすねて、写らないといって、でも写りたい気持ちもあって 弟は大きかったですね、今は時々渡辺健に似ているという方もいます 私は??? タタリ神だそうです 世間は口が悪いですね
写真を撮ってくれた人は? 当時は写真機なんで高価? たぶん、親父より20年位年上の姉の子で、てるよし兄ちゃんのような気がします 私の従兄弟は親父方でも20人以上、従兄妹なのに親父より年上も居ます 昔の人は子沢山ですね 母方の従兄妹も20人以上居ます
一般的な家で田畑を持って そして山を持っていないと一人前とは認めてくれない世間 山の広さでお寺の檀家区分があったのです 今も少し名残があります そこで親父が山を買って植林、すぐにみかん農園造成で売る羽目に 金山パイロットです そして今は一部が夢が丘住宅団地となってしまいました
貧しい家でも楽しかったですね 4歳年上の近所の〇〇おにいやん 何かと面倒をみてくれました そのお父さんにもいっぱいお世話に 家の棟上げでは通し棟に墨書き またよく働くおじさんでした 朝のトラックの音が私の目覚ましでもあったのです また長男の方には披露宴の司会までして頂きました 長男さんのきれいな奥さんにもね・・・ 有難い方ばかりです
町内は津波被害がない事に加え、耕作困難から農地の手放し そこに家が建ち、谷は廃土で埋められ 昔の思い出がどんどん消えています 寂しいですね 人も、土地も・・・・
※前の日記の家の長女をだっこしてくれている女の子 お世話になりっぱなしの近所方の次女なのです 3世代にわたってお世話になっています お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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