カテゴリ:障害者・人生・自分史
私が子供の頃、お家の屋根は杉皮やトタンが多かったです 母屋は瓦が多かったですが はなれの納屋や倉庫、お風呂はトタンや杉皮でした。そしてわら納屋 しかし私の記憶では家だけだったかもしれません(超貧乏な家) 牛の餌や一時的な倉庫に使っていたわら納屋です 以前にアップしているかもしれませんが? 古い写真をスキャンしました
昭和30年代の写真で弟です でも私の三輪車ですね(親戚方々が買ってくれた?) わらぶき屋根のふき方は覚えていません 少しはわかる? 大勢の親戚や近所の方が来てふき直していた記憶がありますがね 赤土と石の壁です 弟の右下はレンコン池です 写真ではわかりにくいのですが 杉皮の屋根のお風呂がみえます 屋根に石を置いています このような風景が懐かしいです
建物を近代風に改装して観光客をお迎え それもいいのかもしれませんが 熊野まで来てイタリアンはどうなのでしょうかね 他所の真似を後追いして・・・・ おもてなしの行政主体の研修?(よい面もありますが疑問の山です) どうでもよいような事にすごい予算を使って・・・ しかし津波タワーは一時建てないと(もうすぐ完成ですが)
市民の間でもこのような意見が多く出ています 今の熊野そのものをみて頂いて、熊野の言葉でお迎えして 自然体が一番だと思います よう来てくれたのう、ゆっくりしていけや・・・・・ コンビニや飲食店の挨拶では心がありませんからね
※追記 道路も舗装していません、道幅も今の60%位でした 地区の住民で道ぶしん(道の補修)をおこなったものです 土手の石積みや障害になる雑木の伐採 その他の共助、共同行事では 結婚式、葬式、川掃除、水路管理・・・・ 社会の変化とはいえ、 昔の人々の絆は、一部でみられるような見せかけではなかったと思います その反面、差別や偏見もあった事も事実です(財産、地位(肩書)、地縁優遇) でもね、みんなが助け合うっていいものなのです お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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